道祖山 宝蔵寺(加茂郷88ヶ所霊場第85番札所)
道祖山宝蔵寺(加茂郷88ヶ所霊場第85番札所)は、加茂町斉野谷地内にあり、斉野谷の山裾の宝蔵寺の本堂内にあります。本尊は大日如来です。本堂は木造瓦葺きです。(2012年12月13日撮影)
道祖山宝蔵寺(加茂郷88ヶ所霊場第85番札所)は、加茂町斉野谷地内にあり、斉野谷の山裾の宝蔵寺の本堂内にあります。本尊は大日如来です。本堂は木造瓦葺きです。(2012年12月13日撮影)
瀧尾山 西方寺(加茂郷88ヶ所霊場第54番札所)は、津山市堀坂地内にあり、堀坂神社の南100m位の所にある天台宗総本山比叡山延暦寺の末寺です。本尊は不動明王です。本堂は木造茅葺(トタン被せ)一部瓦。(2011年7月10日撮影)
木谷山神宮寺(加茂郷88ヶ所霊場第53番札所)は、津山市堀坂地内にあり、堀坂神社の参道の左下約10mの谷にある。木造茅葺(トタン被せ)一部瓦葺、漆喰壁、外壁にこて絵あり。本尊は十一面観音です。(2011年7月17日撮影)
菊水山 公卿寺(加茂郷88ヶ所霊場第43番札所)は、加茂町公郷中分地内にあり、上大から下谷への旧道沿いにある天台宗のお寺で、本堂は木造瓦葺きです。本尊は聖観音です。(先達は木元林造さん)(2022年11月9日撮影)
摩尼山 高福寺(加茂郷88ヶ所霊場第26番札所)は、阿波村竹之下地内にある、臨済宗のお寺で本堂は木造瓦葺きです。本尊は大日如来来です。(2009年6月21日撮影)
摩尼山高福寺は、初代津山城主忠政が、美作186,500石の領主として、慶長八年(1603)に入封し、慶長9年(1604)に、津山神戸にあった安国寺を津山小田中の地に移して、名称を本源寺に改め、天倫玄節大禅師を開山として森家の菩提寺と定めた。 その後、本源寺開山天倫玄節大禅師をこの地に勧請し、元和四年(1618)に摩尼山高福寺創建された。高福寺は創建開山禅師の因縁により、津山城主森家の鶴丸を寺の紋として使用することがゆるされている禅宗寺院である。
岡松山福善寺(加茂郷88ヶ所霊場第13番札所)は、加茂町河井地内にある真言宗のお寺で、建物は木造瓦葺きです。本尊は薬師如来です。(2022年11月9日撮影)
開基は不明である。寛政元年(1789)に堂宇は全焼し、同4年に再建した(『苫田郡詩』)本尊薬師如来は坐長二尺五寸、脇立阿弥陀大師は二尺五寸で、いずれも作者不明であるが、文化十二年(1815)の『東作誌』に記されているものです。檀徒数は、昭和2年に75戸(『苫田郡詩』)
令和7年度前期企画展「生誕200年 箕作秋坪 と 久原洪哉」が、2025年3月8日(土) 〜 2025年9月21日(日)、津山洋学資料館企画展示室にて開催されています。そこで、津山が誇るスーパーエリートのお二人はどんな人物かをじっくり見て参りましたのでご紹介してみます。
(全文:津山洋学資料館展示パネルより転載)(2025年6月6日撮影)
2025年5月18日「出雲街道を歩こう会」に参加したついでに、鳥取と岡山の県境・明智峠を越えて新見市花見山にある史跡「後醍醐天皇の休石」に立ち寄りました。現地は、岡山より鳥取西部へと戻る途上、県境に近い新見市千屋の国道180号沿いに看板がみえます。
伯耆に向かう途中の当地で大きな石を見つけ休まれ、遠くの明地峠(明智峠とも。岡山県新見市と鳥取県日野町の県境にある)を見られて「夜は明智 月は入野に 身は成地 いつも花見る 休石かな」と詠まれたという。
史蹟「休石(やすみいし)」の伝記
人皇第九十六代後醍醐天皇は、鎌倉幕府倒幕のため笠置で幕府軍と衝突したが敗北し執権、北条高時に捕えられ、元弘2年(1332年)3月7日、京都六波羅をご進発、響く何の旅路を重ねられ、美作の国より備中路に入られ、旧阿哲郡大佐町大井野を通過、市倉峠を越え、入野(現在の井原)に至り、落合より当地花見へご到着されこの大井氏に御輿を駐(やす)め、しばしご休息遊ばされました。
天皇は更に北上、明智峠を越され、伯耆路に入られ4月1日隠岐島へ流配されました。
よってこの地を休石と呼ぶようになり、爾来天皇を偲び毎年旧暦9月15日、後醍醐神社の祭として執行し今日に及んでいる。(文:現地由来書き看板転載)(2025年5月18日撮影)
片金山 金龍寺(加茂郷88ヶ所霊場第5番札所)は、加茂町青柳室尾地内にある、真言宗醍醐派所属のお寺で、建物は木造トタン葺きです。本尊は千手観音です。(2012年9月20日撮影)
獅子空山法苑寺松渓庵(文殊堂)(加茂郷88ヶ所霊場第1番札所)は、加茂町塔中地内にあり、松渓庵とも言われる禅寺です。建物は木造瓦葺です。本尊は文殊菩薩です。
堂裏の墓地の一角に岡山県指定重要文化財(昭和三十四年三月指定)があり、室町初期から南北朝期の様式をとどめる、石造無縫塔と石造宝篋印塔の二基があります。(2020年1月30日撮影)