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取材記事内を検索ワード「寺」で検索した結果,927件の記事が見つかりました。

金竜山 天福寺(天福庵)

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 後醍醐天皇が隠岐へご遷幸の時(1332)院庄の西、木の下に薬師如来が埋まっている事を告げたこの場所に寺を建て、この薬師如来像を本尊として安置し「金竜山天福寺」とした。
 ふくらしの木の根っこでご本尊が見つかった事から、ふくらしの「福」をとって「天福寺」に、寺の後ろの池に金色の大蛇が住んでいた事から、山号を「金竜山」としたのだろう。
 元は「金竜山天福寺」と称する寺院であったが、今は「天福庵」と称する小さな堂として残っている。(文:現地案内額より)(2025年9月20日・12月13日撮影)

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後醍醐天皇宮(新見市)

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後醍醐天皇宮(2025年11月15日撮影)
【由緒】後醍醐天皇が元弘の変で隠岐の国へ御遷幸の時に、山陽路を経て美作国真嶋郡宇南寺に入り、車駕を備中玉居野(大井野)に駐められ、元弘2年(1332)3月、この地に社殿を造営せられた。明治5年6月に村社に列格せられた。昭和18年6月5日に神饌幣帛料供進神社に指定せられた。
(文:岡山県神社庁HPより転載)

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安国寺の石林園は津山市指定文化財です。

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 2025年11月22日小田中の安国寺の裏庭の紅葉を撮らせていただきました。安国寺と言えばなんといっても一番は本堂裏の石林園です。この石林園は津山市指定文化財です。また、安国寺の梵鐘は岡山県指定重要文化財です。まず境内にはいるとすぐ右手に第35代内閣総理大臣平沼騏一郎の墓があります。そして本堂の裏側に回ると市指定文化財の石林園があります。境内に茶筅塚があるのを見て、十数年前まで安国寺では初釜があり、近隣からも多くのお茶の愛好家が集まっていたことを覚えています。

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【津山人】郷土史家 橋本惣司さん

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 私は20年くらい前から橋本さんが講師を務める歴史講座に参加しています。
長年子どもたちに教えてこられただけあって、歴史音痴の私でもすぐのみ込めるほど、とてもわかりやすく解説してくださいます。おかげさまで、今でも苦手の歴史に楽しく触れることができています。
 津山の歴史講座受講者はほとんどが年配者で若者がいないのを残念に思います。橋本さんのわかりやすいお話を聞きにひとりでも多くの方が参加されることを願っています。
 津山郷土博物館だよりNo.83で「橋本惣司さんの『古代美作道を検証する』は美作の古代官道研究に一石を投じる意欲的な論文です。橋本氏は市内在住の元学校教員で、熱心に郷土史を研究されている方です。おととしの美作国建国1300年記念事業として行われた陶棺復元プロジェクトにも関わっていただきました。」と紹介されているように郷土の歴史に造詣が深い方です。

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プレミアムインバウンドツアーで津山を体験!

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2025年10月24日(金)~10月26日(日)に、台湾、ポーランド、アメリカ、オランダ、ドイツ、スペインなどの13名が津山のサムライ文化や伝統的文化を堪能できるプレミアムなツアーに参加。
 津山の「ハレ(非日常) とケ (日常)」をテーマとしたリアルでオーセンティックな体験をこの日限りで開催。初代美作国津山藩主・津山城主「森忠政公」の菩提寺「本源寺」にて東洋文化研究者「アレックス・カー」氏によるサムライ文化講話と森家当主との対談、津山まつり徳守大祭でのだんじり曳き体験、祭り前日の宵まつり体験、日本舞踊家「白鳥佑佳」氏の日本舞踊、本源寺でいただく精進料理、津山市の日本酒造見学を贅沢に詰め込んだ津山市ならではの内容となりました。(写真・文:公益社団法人 津山市観光協会提供)

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古墳めぐり(日上天王山古墳・日上畝山古墳群・植月寺山古墳)

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 2025年9月24日、さら楽歴史講座2班「美作古墳めぐり」で、日上天王山古墳・日上畝山古墳群と植月寺山古墳(観音寺古墳)をめぐってきました。この古墳は以前(2017年6月11日)にも取材していますが、日上天王山古墳の前方後円墳の後円部上は今回初めて上ってきました。やはり、現地での説明があると解り易いですね。その昔ここで人々が何を考え、どんな生活をしていたのか?思いをはせながら・・・。
 また、勝央町の町指定文化財 植月寺山古墳(観音寺古墳)も(2023年12月27日撮影)めぐってきました。未盗掘ということなのでロマンが広がります。

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名勝 神代の鬼の穴・龍宮岩

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名勝 神代の鬼の穴・龍宮岩
 新庄川の清流に洗われた雪白の石灰岩が、長年の浸食により様々な奇岩を創り出し、その景観はあたかも龍宮を思わせるところから「龍宮岩」と呼ばれている。
 河中の岩には数多の小洞窟があり、流水は或いは激流となり吸い込まれ、或いは噴出して渦巻きを生じ、深い淵には紺碧の水を湛え龍宮の名に背かない。
 これより二百メートル下流、左岸に「鬼清水」がある。夏でも摂氏十二度の冷泉は作西の三清水の一つと云われ、出雲の国の松平不昧公が参勤交代のおり愛飲されたと伝えられる。
 国道側の石灰岩壁には「鬼の穴」があり、五十メートル程入ることができる。洞内には明治維新の際、山陰鎮撫総監の西園寺公望公が通過の折に書かれた壁書が刻まれており、また、イシノミの一種、トビムシの一種、ヤスデの一種、その他小動物の生息が確認さ れている。
 この一帯は真庭市指定名勝地となっている。真庭市(文:現地パネルより転載)(2025年7月9日撮影)

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能義山法福寺観音堂(加茂郷88ヶ所霊場番外札所 番外)

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 当寺は公郷字高場にあって能義山法福寺の奥の院であり、聖観音を本尊とする。
 宝永6年(1709)の本堂扁額「能義山法福寺略縁起」によれば、開基は伝教大師最澄(767~822)と伝え、天文年中(1532~54)に山下村高山城主草苅加賀守衡継が寺領31石を寄付し、また大伽藍があったが、戦国の兵火によって本尊を除いて堂塔寺院一宇残さず焼失した。そして宝永6年(1709)に再興が完成したことを記している。(『東作誌』)。以降、西国「八十八ヶ所第16番とし、高場の観音と称し、霊験効しと群参」した(『東作誌』)しかし甲州の人、僧覚心が来住した頃ーおそらく天明2年(1782)大飢饉の前後と思われるが―は、寺は荒廃して「孤梟の栖」となっていた。覚心は「自ら土木を曳、石を荷ひ土を運び、他力を不借千辛万苦して功業を励」み「余力を以て近村隣村の道橋を埋」(『東作誌』)め、寺の再興の原動力となり、また村民によって堂宇が再建立され、奉献された(「軒札」、「飛地境内仏堂誤脱編入願」)覚心は「文化の初年寂すいへとも民今に至て徳を称す」と『東作誌』は書いているが、文化8年(1811)の石灯籠の願主は覚心であり(「飛地境内仏堂誤脱編入願」)覚心の死はその前後であろう。
 法福寺が公郷寺の「飛地境内仏堂」としての地位は寛政9年(1797)の法福寺鐘銘および完成12年(1800)の法福寺軒札が「菊水山公郷寺現在 権大僧都堅者法印霊怱謹誌焉」と記されていることに示されている。明治初年に登録もれがあり、明治41年に「公郷寺飛地境内仏堂」として願い出て、公郷寺に所属するものと認められた。
本尊聖観世音菩薩坐像は、『東作誌』に記され、伝教大師作と伝えられ、元県指定文化財であった。(文『加茂町史本編』より転載)

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