
臨済宗妙心寺派 万歳山 安国寺

小田中の一本桜が満開

2024年の日の出を小田中高台から望む

笠松の花火で、ゆく年くる年 2023ー2024

1339年(暦応2)足利尊氏・直義兄弟が夢窓国師の勧めにより、桓武天皇が国分寺を建てたことと同じように、国土安泰・元弘以来の戦死者のために、全国66か国と2島に安国寺を建立しました。『作陽誌』によると美作国では院庄神戸村にありました。しかし戦災にあい、元禄年中の洪水のため跡形もなくなり、吉井川の川敷に安國寺瀬という名だけ残されていると伝えられています。
1689年(元禄2)龍雲寺の夢堂自桓禅師は藩主森長継公に請い、当時英田郡作東町角南村(現美作市)龍雲寺にあった十一面観音を移し、善福寺の開祖となりました。
宝暦年間(1751~1764)に四世萬愚和尚が許を得て善福寺を安国寺と改めました。
本堂左手前の鐘楼は改築されました。また梵鐘には「大日本作州高倉県奇松山多聞寺、永和三年(注1377)丁巳十一月二十三日 大工長岡住百済源次 大願主権律師明賢」と刻銘されていることから、百済源次が津山市金屋にいた時に鋳造されたことがわかります。
この梵鐘については「無常を伝える長五郎の鐘」と呼ばれる伝説があります。長五郎が愛撞した梵鐘は、戦国の兵乱で失うことを憂えて長五郎が土中深く埋めました。しかし死期に臨んで心許せる数人に埋めた場所を洩らしておいたので、治政となった1745年(延享2)埋めた場所を掘り返し善福寺(現安国寺)に寄進されました。この鐘(青銅製で高さ87cm、口径62cm、重さ約70貫[約280g])は作州で鋳造された一番古い鐘ということで、太平洋戦争中に接収されずに済み、いまなおその鐘の音色を響かせています。(平成17年2月18日県重要文化財に指定)
石庭は丘陵を利用した池泉観賞式庭園で、元禄の頃(1688~1702)二世列堂和尚が作庭しました。七世無染和尚が「一切経」から石林園と名前を付け、津山市指定文化財になっています。
また、山門を入って右側に第35代内閣総理大臣・平沼騏一郎の墓があります。
(文:『作州城西史』発行人:松本邦男氏)(2017年11月13日撮影)
石林園は津山市指定文化財です。