能義山 法福寺薬師堂(加茂郷88ヶ所霊場第41番札所)

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能義山法福寺薬師堂(加茂郷88ヶ所霊場第41番札所)は加茂町公郷上大能義地内にあり、法福寺本堂の隣にあます。薬師堂は木造瓦葺き土壁です。(通称高場観音)本尊は聖観音です。
(先達は木元林造さん)(2022年11月9日撮影)

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能義山 法福寺境内の様子

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本堂

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能義山 法福寺

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山門                      由来

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山門に仁王様がいらっしゃいます。

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高場観音由来
 能義山法福寺、通称高場観音という。天台宗掬水山公郷寺奥之院と云う。本尊は聖観世音菩薩、貞観年中(清和天皇の頃)慈覚大師がこの地の霊妙なるを感得し、大師ヶ乢(現在地より少し上方)に一宇の草堂を建立す。
 本尊の霊応日々新にして、時の矢筈城主草苅加賀守は深く尊崇し、寺禄を与う。その後兵火の中に類焼するも、本尊自ら今の高場の地に難を避け給うとか。
 現存の堂宇は薬師堂を加え、寛政五年、時の堂主覚心坊の発心により、浄財を近郷近在(津山市・鏡野町・勝北町)の人々から広く仰ぎ、備前の國奥郡(邑久郡)より木挽・大工職の請負のもと、寛政十三年頃完成せるものなり、屋根は茅葺なれども御厨子、御拝等の彫刻頗る細密なり。後、瓦葺として現存す。
 尚、昭和初年、時の堂宇水島瑞賢師が再び前述地区内から十方施主にて山地内に子安観音を勧請し、一堂を建つ。無住となりし今日も安産祈願の参詣でる絶えざるは、この地の誠に霊妙なるを証すものなるか。能義山法福寺奉賛会 加茂町観光協会(文:現地案内から転載)