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取材記事内を検索ワード「花」で検索した結果,1349件の記事が見つかりました。

珍しい洋ラン展がアルネ2階でありました。

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2012年7月1日 夏の洋ラン展がアルネ2階で開かれていました。色鮮やかな花々が精一杯咲いて「見て!見て!」と言っているようで、私達を楽しませてくれました。この洋ラン展は「津山洋ラン園」さんが主催と八木楠夫さんに伺いました。お花っていいですね!何も言わずにただひたすら咲いている姿に、心打つものがあります。
2012年7月1日取材

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福井 輝かしい修行記念の修験道石碑

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 福井から大崎方面にぬける県道べりに、土居の公会堂があるが、その公会堂の道を隔てた西側の一区画は、真宮神社の鳥居や、よく手入れされた花壇・樹木があり、小公園らしくなっている。その場所の北側一隅に、次のような文字の修験道に関わる輝かしい修行記念碑が見られる。
(梵字)大峰山三十三度供養
    先達 安藤栄治郎
明治5年 壬申歳  世話人 安藤頽蔵
  8月 吉祥日    同   安藤與平
 この趣意は、修験道修行のため大和大峰山の登り続けた先達の安藤栄治郎が、ついに満願供養の33度の偉業を達成したことを讃え、安藤頽蔵と安藤與平が世話人となって、明治5年(1872年)8月の日柄の良い日にこの石碑を建立し、供養にしたと解せられる。
 奈良県吉野から大峰山は、古来よりの修験道修行の聖地である。
 7世紀末、修験道の開祖役行者(かいそえんのぎょうしゃ)はここを修行の地と定め、巨大な磐座のある金峰山(山上ヶ岳=1719m)で、苦行の末に金剛蔵王権現を感得したと伝えられている。以来、現在に至るまで、修験道修行の本場となっており、江戸時代のころから一般庶民も講を結んで登山するようになった。講の先導や世話役にこの先達が活躍した。

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河面 農耕と深く関わる二つの地神様

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▲花屋・高畑の田んぼの中の地神様
 河面の上原集落に上がる三叉路の所に、コンクリートで固められた台座の基に、むすび型の石碑で地神様が祀られている。 
 「地神」と大きく刻まれて、川石の裏面に「大正5年4月建 上原講組」と建立した年代を明記してある。(大正5年=1916年)
 また、河面には今一つ、小字の花屋・高畑の田んぼの中で、かつて広山八幡宮の御神輿が立ち寄り神事が行われていたと言われ、いまでも幟が立てられる旧神事場に、ほぼ同じ大きさの地神様が祀られている。
 「地神」と刻まれた丸い川石の裏面に、これまた、「大正4年9月 高畑花屋」と明記されており、これら二つの地神塔が、ほぼ同時期にできたことが分かる。
 この地神様は、百姓の神様として広く各地で祀られている。
 ルーツは、平安以後広まった地蔵信仰の一形態であり、「地蔵菩薩本願経」の内の「地神護法品11」に「堅牢地神の守護を受けて地蔵菩薩を供養すれば土地が豊かになり、家が永く安らかになるなどの御利益を受ける」と説かれていることなどに由来している。たびたび凶作飢饉にみまわれた江戸時代半ばころから流行しだし、明治~大正ころ急速に建立が流行したようである。河面の二つの地神塔ができた背景には、大正3年(1914年)の干害や、4年の暴風などによる凶作が考えられる。地神信仰は、構造改善を終えた現在においても建立されており、農村地域に根強い信仰が続いている。
 地神様の祭りは、本来、春秋の彼岸の中日に最も近い戊の日に当たる社日に行われていた。この日は、地神講、社日祭と呼んで、田畑に入らない、土をいじらない日として農作業を休み、部落の当番が世話をして地神様の祭りを営む。地神塔には、注連縄を張り、酒や米をお供えをし、お祈りの後には、各戸から集まった皆で、簡単な飲食をする習わしであった。
 農作業の形態が大きく変わった現在、上原地区の事例で言うならば、彼岸前後の休日の日、道直しや溝掃除の共同作業の後、地神様をお祭りしている。疲れなおしをかねて、その広場で簡単な会食をしている様子となっている。
 なお、花屋の地神様のある旧神事場の二つの小祠は、部落・株などを守護し火伏の役を果す三宝荒神様と、地鎮の神様を八幡祭礼日に合わせてお祭りしている。(文:広野の歴史散歩:宮澤靖彦 編著より)2012年5月31日取材

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2012年6月17日(日)のイナバ化粧品店

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2012年6月17日(日)のイナバ化粧品店内は華やかで賑やかでした。父の日の花束がずらりと並んでとてもいい匂いがしていました。また、店内では家族連れや多くのファンの皆さんがお出でになっていました。この日はTシャツの話で盛り上がっていたようです。
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やさしさに包まれたらー灯心会の絵画展

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棟方志功・柳井道弘記念館 (M&Y記念館)  1F展示室 企画展
「やさしさに包まれたなら、きっと・・。」NPO法人灯心会展
6月2日(土)~6月24日(日)
やわらかく、温かみのある絵画作品を中心に、記念館全体をちりばめます。
やさしい気持ちでみていただくと、様々なメッセージが伝わってくる作品展です。
入場料:無料(2F常設展をご覧いただく場合は500円となります。)


「出張!なんでも鑑定団in津山」のごあんない
開催日:8月26日(日)12:00開場、13:00開始(予定)
会場:津山文化センター
応募方法「お宝応募」:鑑定出場申込書にお宝の写真を添付して応募。申込書は、M&Y記念館、アルネ津山、津山観光センター等に設置。
「観覧応募」:往復はがきにて応募。往信面に「出張!なんでも鑑定団観覧希望」と書き、住所、氏名、電話番号、入場希望者数(2名まで)を記入、返信面には住所、氏名を記入ください。
応募先:〒708-0814 津山市東一宮13-8
棟方志功・柳井道弘記念館(M&Y記念館) 「出張!なんでも鑑定団」係
Tel.0868-27-3239
応募締め切り:6月30日(土)必着
※お宝の選考は番組スタッフが行い、採用の可能性がある方には、TV番組スタッフから直接連絡があります。
※観覧募集は、応募者多数の場合は抽選となります。
※お宝応募者、M&Y記念館会員には当日の観覧券が進呈されます。
→応募用紙はこちらから

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美作市土居の岩本さん宅のバラです。

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美作土居2479-2の岩本さん宅のバラです。(2012年6月3日取材)
 ご自宅の庭園内にはバラをはじめ様々な花が綺麗に咲いていたのは勿論、その他にも美紀子さん手づくりのステンドグラスやトールペイントも私達を楽しませてくれました。また、ご主人の保男さんが畑を耕し造られたバラ園など夫婦で丹精込め育てた約100種類のバラがとっても素敵でした。作東インターを東へ進み約5分の国道179号線沿いにありました。岩本さん曰く、年に1回のみ開催のオープンガーデンだそうです。

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勝央町の横山さん宅のバラです。

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勝田郡勝央町平975-6横山秀樹さん宅のバラです。(2012年6月3日取材)
今年も見事なバラが咲いていました。横山さんにお訊ねすると「少し終わりの方ですがどうぞどうぞ」と笑顔で応対くださいました。庭園の芝が草1本も無いほど綺麗に手入れしてあり驚かされます。バラは大輪の花が主で見事です。

(2009.5.23の取材の様子はこちらをご覧ください。)
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久米南町山ノ城の森田さん宅のばらです。

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▲森田宗克さん宅(久米南町山ノ城349)のバラです。(2012年6月2日取材)
  森田さんご夫妻は大阪府から5年程前(2007年)にこちらに来られ、広いお庭や自宅前の畑などを1年目は開墾、2年目から順次バラ園を作ってこられたそうです。このバラ園の名は「里山華農園349」で、多くの人に知ってもらい楽しんでいただきたいとおっしゃっておられました。

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津山市上村 赤堀さん宅のバラです。

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赤堀さん宅のバラ(2012年5月30日取材)
津山市上村319-1(旧勝北町)にある赤堀加津枝さんが育てているバラです。お花の好きな赤堀さん宅の庭にはバラをはじめ四季には色とりどりの花々が咲いています。今年もバラが見事に咲いていました。(2009.5.27の様子はこちらをご覧ください)

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曹洞宗 成興寺(じょうこうじ)

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曹洞宗 成興寺
 沿革
 そもそもの成興寺開基は、夢窓国師(京都天竜寺開山)と伝えられ、JR因美線美作河井駅から登る矢筈山上にありました。久しく廃絶していた寺を天文年中(1532~54)に、草苅加賀守衡継が矢筈山頂に居城を築く際、菩提寺として再興しました。(成興寺丸跡あり)
 天正12年(1584)草苅氏退城後、寺も廃址に帰しましたが、文禄3年(1594)に草苅氏の家臣で、小中原の土豪中西孫左衛門が、現在地に再興しました。元禄2年(1689)津山西寺町長安寺三世白善嶺雲和尚が曹洞宗に改めて開山となりました。現住職小倉玄照和尚は、第十三世。(2012年4月21日撮影)文:曹洞宗 成興寺(津山市加茂町小中原41)

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