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取材記事内を検索ワード「津山市」で検索した結果,1551件の記事が見つかりました。

加茂町歴史民俗資料館

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万燈山古墳(2011年8月12日取材)
加茂町塔中にある6世紀末ごろ築造された古墳で、墳丘の直径約24m、片袖式の横穴式石室をもつ円墳である。昭和46年から47年にかけて発掘調査が行なわれた。石室の総長は12.1m(玄室の長さ6.5m、幅m2.1m、高さ2.7m、羨道の長さ5.6m、幅1.8m、高さ2.3m)で奥壁の添って最初の被葬者のものとみられる箱形石棺が安置されていた。この石棺内には3体が合葬されており、他にも2~3体を合葬した陶棺1基および木棺7基の追葬がみられ、合計20体以上が葬られていたものと推測されている。石室の規模は美作地方で最大級のものであり、注目される古墳である。

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「ヴォーカルアンサンブル津山」が、ミニコンサート

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ヴォーカルアンサンブル津山第16回定期演奏会

(第8回津山国際総合音楽祭協賛事業プレイベント)

8月19日(金)13:30~約30分間、市役所1階市民ホールで、津山が生んだ珠玉のプロフェッショナルコーラスグループ「ヴォーカルアンサンブル津山」が、ミニコンサートを開きました。

曲目は、バッハ「G線上のアリア」、ゲゲゲの鬼太郎、ソーラン節、川の流れのようにの4曲を歌いました。プロの合唱団の迫力ある歌声が市民ホールに響き渡り、集まった約60人の観客は、22名(指揮者1・伴奏者1含)の「ヴォーカルアンサンブル津山」の歌声に魅了されていました。


 2011年8月21日(日)(開場/13:30、開演/14:30)ヴォーカルアンサンブル津山第16回定期演奏会が津山文化センター大ホールであります。(有料) お問合せは(財)津山文化振興財団TEL0868-24-0201

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「日本一遅い花火」かもの夏まつり

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★かもの夏まつり(以下写真提供:津山市)   (昨年の様子はこちらからご覧ください
開催日:2011年8月14日(日) ※雨天順延(花火のみ)〔8月15日(月)〕
時 間:19:00~22:30(打上予定=21:50頃~)
会 場:津山市加茂町桑原・加茂中学校 
打上数:1000発
問い合わせ先:0868-42-2092(かもの夏まつり実行委員会)

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津山納涼ごんごまつり (商工会議所女性部)

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 津山納涼ごんごまつりに出店した津山商工会議所女性会のテントです。
■ 2011年8月6日(土)7日(日) ■ 吉井川河岸緑地公園及びごんご通り
ごんご踊り→6日(土) 17:15~ / 大花火大会→7日(日) 20:00~
         

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阿波ふるさとふれあい納涼星空まつり

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★阿波ふるさとふれあい納涼星空まつり (▲写真提供:津山市)
開催日:2011年8月13日(土) ※雨天順延〔8月14日(日)〕
時 間:18:30~21:00(打上予定=20:45頃~)
会 場:津山市阿波・阿波支所駐車場
打上数:350発
問い合わせ先:0868-32-7044(阿波ふるさとふれあい納涼星空祭り実行委員会)

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サマーフェスティバル IN 塩手の水中花火(塩手池)

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サマーフェスティバル IN 塩手

開催日:2011年8月12日(金) ※雨天順延〔8月13日(土)〕(▲写真提供:津山市)
時 間:18:00~21:30(打上予定=19:30頃~)
会 場:津山市市場・塩手池周辺
打上数:3000発
問い合わせ先:0868-36-5533(サマーフェスティバルIN塩手実行委員会)

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M&Y記念館コレクション「立原位貫」展PART-2

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8/2(火)~9/11(日)までは、M&Y記念館コレクション「立原位貫」展PART-2として、立原位貫氏の自伝「一刀一絵」で紹介されている作品を中心に展示が行われています。
「現代の浮世絵師」と呼ばれる立原位貫氏。今回は、M&Y記念館がコレクションする立原位貫氏の作品の展示です。
作家・江国香織が感動し書籍として出版された「竹取物語」作品、夢枕獏の本の表紙に使われた作品、東京の歌舞伎座のこけら落としに向けて制作した最新作「歌舞伎役者・市川亀次郎」作品など、オリジナル作品です。また、今回は「市川亀次郎」の版木もあわせて展示しています。

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川崎八幡神社の湯立て神事

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▲湯立て神事(写真は2010年) 川崎八幡様年取材記事 

川崎八幡神社縁起 

 鎌倉時代(1185~1333年)後期、朝廷は南北に分裂し、うち続く戦乱に世相は騒然を極めていた。

 元弘二年(1332年)後醍醐帝は、隠岐配流の途中、院庄に駐輦された。
 備前国の忠臣、児島高徳は、杉坂峠(作東町)から御跡を慕い、院庄館で夜陰にまぎれ庭の桜樹に十字詩を奉った。

当事の林田郷川崎村は、吉井川と加茂川が合流して出来た三角州一帯(宇古屋敷)に在り、農耕を主体として生計を営んでいた。洪水による自然災害や、うち続く戦乱のなかで住民は信仰により安住を求めるようになったのであろう。
 元弘元年(1331年、661年前)豊前国宇佐郷(大分県宇佐市)に鎮座する宇佐八幡宮(祭神:誉田別尊「応神天皇」、比売神、気長足姫尊「神功皇后」の三神)を勧請し古屋敷地内に奉祠した。

 慶長八年(1603年、389年前)森 忠政が津山藩主として、信州川中島から、18万6500石を領し入卦、二代長継、三代長義に亘り、石高を増やすため新田の開発を図るとともに、平地から集落を高地へと移転させ農地の拡張を図ったため、実石高は26万石を超えるまでとなった。

 貞享二年(1685年、307年前)三代藩主長義の代に、川崎村の集落は北側の高台(宇寄広)に移転させられた。これにともない、神社も現在地(津山市川崎八幡西1042番地)に遷祠され、社号を弓矢八幡宮と称し安産の守護神として氏子はもとより近隣からも崇敬された。

 境内に三宝荒神社、末社として大歳大明神、惣道大明神、春日大明神、兼田大明神の四社が合祠された。

 現本殿は、近郷まれに見る緻細な彫刻を配しており、文政四年(1821年、171年前)津山藩主、八代松平斉民(確堂)の時代に再建されたものと考察される。(基礎台石に文政治四年三月、石工嘉左衛門の記名がある。) 旧拝殿や舞台、御輿、末社について江戸中期から後期にかけて建設されたものと考えられているが記録はない。先祖代々、崇敬維持されてきた神社拝殿、末社が老朽のため、このたび改築の運びとなったことは、氏子をはじめ関係者の皆様の信仰と郷土愛の賜であり、これを子々孫々に至るまで敬拝、継承を念ずるものであります。(2011年7月18日取材)

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