萬福寺(高野本郷)と堀内三郎右衛門

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萬福寺(津山市高野本郷)2012.1.14日取材
本部から「92歳の本当に困っている老祖を助けてあげてほしい。」と言われ、33年前にご夫婦で来られたそうです。「このお寺は旧市内から分寺してここに来られたのだと教えてもらいましたが、このお寺の詳細は分かりません。」とおっしゃっておられました。万福寺では、堀内三郎右衛門のお墓があって、小中学生が授業で見学に来られるそうです。墓には「堀内三郎右衛門 君碑 法学博士 平沼 淑郎(よしろう)」と刻んである。今は檀家の人たちと堀内三郎右衛門一族のお墓を大切にお祀りしておられるそうです。(この他、堀内三郎右衛門の妻光井傳(でん)が元禄13年に奉納した燈籠が高倉神社にあります。また、農民の窮状を救おうと、命をかけて強訴におよんだ指導者8人の霊もいわゆる千人塚で供養回向されている。田中角栄氏が書いた義民の碑も高倉にある。)


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日蓮宗 玄好山 萬福寺  岡山県津山市高野本郷1945 tel0868-26-0546
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石碑には「元禄時代百姓一揆/義民 堀内三郎右衛門顕彰碑並/堀内一族之墓建立跡
平成4年6月28日表参道開通記念/玄好山萬福寺第14世 日孝子」とある。
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本堂を前からと左から写す。
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本堂と手水鉢
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鐘楼と堀内三郎右衛門の墓(ここの字は法学博士 平沼 淑郎氏が書かれたそうです。)
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平沼淑郎氏は、第三代早稲田大学学長。首相・平沼騏一郎の兄でもある。
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堀内三郎右衛門一族のお墓です。檀家さんの理解を得て整備し、この位置に祀られたそうです。(以前は通る隙間もなかったそうです。)


萬福寺小史
 当山は寛文年間1661~1672(約340年前)に高徳な大乗院日真上人によって開創されました。
第三世日円上人が、作州一揆の棟梁格堀内三郎右衛門らが元禄12年に斬刑され、その遺骸を寺中に葬ってから義民の寺として、五世住僧のころまでは、加茂川畦唯一の妙法道場として寺勢を誇りましたが、その後法難・水害等のため荒廃し、檀家の数も減って行きました。
 十世現浄院上人が復興を志し、30余という少数檀家によって間口2間、奥行3間の小本堂を建てましたがその後20年間ほど無住がつづいて、古文書や什物などを失いました。
 明治6年日聞上人が豆州より来投して11世紀となり、祈祷勧信につとめ、寺有地の恢復、伽藍の造営等に力を注ぐこと40有1年、檀家も70余戸に達しました。
 十二世日教汪野学慈上人、大正13年春、庫裡改装の大業を成し遂げ寺容一新しました。
かくて昭和4年3月拙衲日功13世を継ぎ、納屋を、ついで昭和27年秋に鐘堂を新築し、岡山の佐藤輝夫氏から梵鐘の寄進を受け、昭和34年9月の台風で倒壊した山門を翌春改築し、檀家数漸く百戸を越えるに至りました。
第13世浅沼日功上人


玄好山 萬福寺 縁起由来
寛文年間 1661年~1672年 約335年程前。
大乗院日真上人開創 現第14代
人皇第112代 霊元天皇代
(江戸幕府第4代将軍・徳川家綱の代)

 元禄年間高倉の大庄屋・堀内三郎右衛門一族百姓一揆事件
津山藩士越後の松平長矩公から天下の大罪として、加茂川兼田河原にて斬首
萬福寺第3世 玄法院日円上人憐れんで収骨し墓地に埋葬し供養する。
元禄12年3月27日であった。
現在毎月27日の命日には塔婆を建立し回向の誠を捧げている。
南無妙法蓮萃経。簡略
圓信院蓮清居士  堀内平右衛門(弟)
随信院浄甫居士  堀内佐右衛門(長子)
法光院友感大居士 堀内三郎右衛門
法信院圓清居士  堀内四郎右衛門(弟)
境内に建つ君碑
平成19年1月吉日
玄好山 萬福寺第14世 我妻日孝拝