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阿波【八幡神社の花祭り】

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八幡神社の花祭り(通称阿波の花祭り) (2010年11月3日)
社伝によれば、「大祭ノ節ハ神幸執行古式ハ孔雀ノ傘鉾二御守ヲ付シ(中略)氏子ハ御幟造花等ヲ獻シ」とあり、大分県宇佐市の葬儀や、中津市の鶴市八幡宮にも当社の花祭りの造花とよく似た造花が奉納されていることから、この花祭りがいつ頃から行われるようになったかは不明であるが、宇佐八幡宮の分霊を勧請した際に一緒に伝えられたものと考えることもできる。
花祭りに使用されるこの造花は、旧阿波村内8地区において1本づつ奉納する。11月3日が秋季大祭であるので(昔は旧暦11月1日であった)、9~10月の適当な日を選んで地区代表の音頭で始まる。心棒の先端に大きい竹籠を取り付け中に麦藁をつめる。その上に色紙や文字を貼った箱を乗せ、その上に榊と幣、人形や造花、風車などを飾る。大竹籠には80本の紙で巻いた「しおれ竹」を刺して垂らす。心棒の途中の両脇に小さい竹籠を取り付け、これにも造花や風車を飾る。地区総出の一日がかりの仕事で出来た造花は大祭当日の午前0時から八幡神社に奉納し、午後2時の御神幸にあたりその先導を務めるのである。
神事場での神事が終わり神霊の還御に当たっても先導を務めるが、花を持つ若者の酒の入った祭り気分も手伝って花と花の練り会いが始まり、芯は取れ、しだれ竹は抜け落ち、無残な姿になるのである。喧嘩も起こるが、遺恨を残さないがこの花祭りの練り会いである。(資料提供:八幡神社の花祭り保存会)

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2010ごんご祭りin吉井川【踊り】

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ごんごおどり参加団体(連)
宮坂流津山銭太鼓保存会
【子ども部門】 ・林田保育園 ・しらゆり幼稚園 しらゆり ・城西保育園 ・作陽保育園 ・明星保育園
・西小スカイウォーカー ・高田小げんき児童クラブ ・鶴山小学校ひよこ児童クラブ ・北小ひなづる児童クラブ
・美作大学付属幼稚園
 【一般の部門】
・学校法人 美作学園 ・林田小スーパーキッズ ・ソーラン鏡野 ・津山市職員互助会&AKD48
・80周年!岡山県作陽高校 熱血踊り連2010 ・美作県民局連 ・美作S・G友輪会 ・作州津山商工会女性部
・津山中央病院 ・河童チャレンジャー.3 ・(医)東浩会 石川病院 ・パナソニック ・津山医療生協 ・川崎踊連
 【アレンジ部門】 ・日本すず心連盟本部 ・ごんご侍 ・ごんご娘だんさ~ず ・津山ダンスキッズ連
・みゅーじかる劇団きんちゃい座 ・ソーラン鏡野 ・協賛 林石材店
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第14回「津山武道祭」で交流

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第14回津山武道祭(主催/津山市体育協会)が平成22年7月4日(日)、津山市山北の津山総合体育館で開かれ、市内外の団体が模範演武を通して武道への理解や交流を深めました。
★開催趣旨
武道の修練は、強い心身を培うとともに、豊かな人間性を育むことを目的としています。
当美作地方は、古来から武道に造詣の深いところであり、今後、当地において、武道競技人口の拡大並びに、技術継承の推進による武道競技のより一層の振興と、青少年の健全育成を図るとともに武道諸団体が一堂に会して錬磨し、交流と連携を深める場としての総合武道館の建設促進を目的に開催するものです。

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ホルモンうどん研究会総会での決意表明!

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津山ホルモンうどん研究会に頂いた各表彰状が披露されました。(向かって右から)
中国地方地域ブランド評価委員会=中国地方 春のとっておきの地域 認定証(津山の鉄道文化遺産とホルモンうどん岡山県津山市)上は春の季節にふさわしい景色と食を有していることから中国地方春のとっておきの地域として認定します。(H22.3.2) 
岡山県美作県民局(局長 角田保彦)=貴団体は市民と行政が力を合わせて社会づくりを進める協働の取組を通し「新おかやま夢づくりプラン」の推進に多大の貢献をされましたのでその功績に対し表彰します。(H22.6.9)
岡山県観光連盟(会長 石井正弘)=あなたは観光事業の重要性を深く認識され地域特産品の開発に努められ多年にわたり観光おかやまの発展に尽くされた功績は誠に大きく他の模範となりますので表彰します。(H22.5.26)

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出雲街道 坪井宿

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坪井宿は、津山から三里半(約14キロメートル)程の距離にある。津山を発した出雲街道は、院庄から吉井川を渡り、中須賀・領家(茶屋)・千代・坪井と久米町内を経て真庭郡落合町へ通じているが、その宿場跡として唯一町内に残っている場所が坪井宿である。
ここ坪井がいつごろから宿場としての役割を果たしていたのかは定かではないが、本格的に整備が行われたのは、森忠政が美作国主として作州に入封した慶長8年(1603)以降といわれ、以後、街道の整備や交通量の増大にともない、陰陽交通の要として宿場機能の充実がはかられていったと考えられている。さらに、元禄10年(1697)森氏廃絶ののちは一時幕府領となったことにより、幕府の代官所が宿場内に置かれたため、以後は宿場町であるとともに、政治的な機能をも併せもつこととなった。
かつての町は、七森川から引いた水が流れる水路が中央にあり、それを境に南北に二分されていた。水路を挟む道路は南北それぞれに二間(約3.6メートル)の幅をとり、北側の道路は出雲街道で多くの旅籠や家屋が並んでおり、対して南側の道路は里道といい、一般の使用に供されていた。このような町のかたちから当時は「麦飯町」の異名もあったという。そして、水路のほとりには柳が植えられ、現在、町中にある常夜灯もかつては水路のたもとで灯りを点じていたとのことである。
宿場町坪井は、江戸・明治・大正・昭和とその役割を果たしたのち、宿場当時の面影を残す平静な住宅地となり、現在に至っている。(2010年5月30日)
久米町教育委員会

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史跡 美作国分寺跡

史跡美作国分寺跡とその特徴
  美作国分寺は、総国文寺となる東大寺と伽藍配置が極めてよく似ています。また、寺域(お寺の範囲)も二町(約220m)四方で、国分寺の基本的な規模に一 致するといわれています。その上、創建時に屋根に葺かれた軒瓦の文様は、平城宮で用いられた瓦の文様と瓜二つという特徴があります。
  美作の国は、713(和銅6)年に備前の北部6郡を分割してつくられた新しい国で、その国府(国の中心の役所)は津山市総社に置かれました。美作国分寺の特徴である都との密接な関係は、そういった事情を反映しているかもしれません。
  奈良時代中ごろに建立された美作国分寺は、その後変遷を重ねながら、平安時代末には衰退したようです。
  美作国分寺と対になり建立された美作国分尼寺は、発掘調査の結果、国分寺の西方約500mのところに存在していたことが明らかになりましたが、伽藍配置等の詳細はまだ分かっていません。

 平成16年2月27日国指定重要文化財(史跡)指定

2009.9.2
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津山城跡(鶴山公園)

▲裏門すぐの所にある菜の花の景色がきれいです。(2008春取材)

春には千本の桜が咲き乱れ、西日本随一の桜の名所として多くの人が花見に訪れる鶴山公園(津山城跡)。とくにぼんぼりに浮かぶ夜桜の美しさは幻想的です。また、新緑の頃の藤、ツツジ、秋の紅葉、雪景色など、四季を通じて訪れる人の目を楽しませてくれます。天守閣などの建物は明治7年に取り壊されましたが、本丸、二の丸、三の丸の石積みは、高さが45mもあり昔日の面影を今に伝えています。
津山城築城400年を記念して復元された「備中やぐら」が平成17年3月18日に公開となり、新しい名所となっています。

昭和38年9月28日国指定重要文化財(史跡)指定

>>2011年4月のさくらの様子はこちら。/ SakuLoveも登場する2011年4月10日の様子はこちら。
>>2010年3月30日の鶴山公園のさくらの様子はこちら。市内の桜スポットはこちらから

>>2009年11月~12月の紅葉はこちら。おすすめの紅葉スポットはこちらをご覧ください

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