取材記事内検索

取材記事内を検索ワード「冬」で検索した結果,183件の記事が見つかりました。

青柳神社(津山市加茂)

青柳本殿2.jpg
青柳神社
御祭神 天照大神荒魂 金山彦命 天日筒男命
例大祭 十月十日
中祭  春祭四月 夏祭七月 冬至祭十二月
由緒・沿革
 本神社の創建由緒は不詳であるが、古人伝え云ふ。
天平勝宝年中(749~56年)直金を掘収したが失敗し、片金山の柳神社に祈願したところ、金山彦命、天日筒男命を奉賽せよと告げられ、柳神社を相殿として宮殿を造り、社号を中山神社としたのが其の起源である云われている。
 又、美作六十六社の一社であり、寛文8年(1668) に再建したとも云われている。「作陽誌」にも中山神社とあり外に国司大明神が祭られていたと云ふ。
 其の後、明治6年(1874)青柳神社と改称し、同9年、金山彦命、天照大神荒魂、天日筒男命を合祀して村社に列せられた。明治42年に大字青柳内の水分神社、経津主神社、伊勢神社、滝神社を合祀した。大正2年、時の流れに依り、上加茂神社(現千盤神社)に合祀された。
 それ以前は現在地より上の段に双殿として奉賽されていた。現在の本殿は其の一つの宮殿であった。それ以来、遥拝所となり昭和24年再び旧宮山に遷座奉賽される。
 平成6年10月、本殿、拝殿等老朽化が激しく、敷地を新しく造成し、本殿の修復、上屋・拝殿を氏子の浄財寄進等により、造営する。
平成9年6月吉日 氏子中  (2012年9月20日取材)(文:案内板より)

青柳神社(津山市加茂)の続きを読む

衆楽園のつつじの花とスイレンの花

syo18.jpg
(2012年5月7日の衆楽園)衆楽園は、江戸時代初期に津山藩主・森家によって築造された回遊式の庭園です。元禄11年(1698)に松平家が藩主となって以後幕末までは、家臣や他藩・他家からの使者を謁見するための「御対面所」、または藩主の隠居所の庭園として使われ、明治3年(1870)に「衆楽園」として命名されました。
  衆楽園は津山城の北側(津山市山北)に位置しており、庭園は南北に長い敷地で、大半を池が占めています。別邸跡の古い建物群は現存せず、それらを再現した建物(余芳閣・迎賓館・風月軒ほか)が建っています。(津山城より
春夏秋冬いつ来ても見ごたえあります。(過去の取材

衆楽園のつつじの花とスイレンの花の続きを読む

「棟方志功・まぼろしの初期作品集展」M&Y記念館

munakata1.jpg
2F展示室 特別企画展 「棟方志功・まぼろしの初期作品集展」
3月31日(土)~9月30日(日)
 今回の企画展では、処女版画集である『星座の花嫁』をはじめ、初の裸婦作品集となった『ヴェニュス生誕』、今回発見され、「開運!なんでも鑑定団」にも登場した幻の作品集『季節の花籠(草稿)』など、初期の貴重な棟方志功の版画作品集を一同に展示しています。


 「季節の花籠」は、不動明王に始まり、不動明王で終わる作品集で、河井寛次郎に学ぶ以前の志功の仏教観をはじめとする様々な心象、題材、表現手法が各作品にテーマとして現われており、将来の棟方作品を見事に予感させてくれます。
 昭和初期、棟方志功が、貧困の中で試行錯誤しながら版画に取り組み、自身の作風を確立して行くまでの過程が良くわかる作品展です。入場料:500円(1F企画展もご覧になれます。)
文:棟方志功・柳井道弘記念館(M&Y記念館)提供

「棟方志功・まぼろしの初期作品集展」M&Y記念館の続きを読む

第6回旧正月を祝う「田町冬まつり」

zenin1.jpg
▲2012年2月11日(土)津山市田町仲良し町内会の皆さんが親睦を深めました。
 毎年、恒例になっている田町の冬まつりですが、今年も賑やかに執り行われました。「みなさんとワイワイガヤガヤ言いながら、集まるのがとても楽しい。出来れば町内の古株の奥様達がもっともっと出てきて楽しんでくれたらいいのになぁ~」と世話役さんがおっしゃっていました。グルメな町内会のレシピは、杵つき餅で作った雑煮、むかご餅、ぜんざい、カキ、焼きそば、おでん、唐揚げ、おうどん、煮物、漬物、サラダ、フルーツ、コーヒー・・・食べきれないほどのご馳走でした。それと今年は、コンサートもあり、ハーモニカ演奏を懐かしく聞かせていただきました。セロリの漬物美味しかったです。田町町内会の皆さん、今年もご馳走様でした。

第6回旧正月を祝う「田町冬まつり」の続きを読む

広野小裏山 小祠に祀られている広野神社

jin5.jpg
 広野小学校裏山に小祠に祀られている広野神社(2012.1.15取材)
 広野小学校給食室の裏山に、学校の敷地に接して小さな社があり、広野神社として今も祀られている。ごく最近、広野神社と書かれた真新しい木造の鳥居が建てられ、その存在が明示されるようになった。それまでは、茂みの中に位置していて、近隣の氏子以外には、ほとんどその存在が気づかれにくい状況にあった。
 平成4年、岡山の年配の女性から広野小へ次の要旨の問い合わせがあった。


 「私は、元河面(こうも)出身の者だが、何十年ぶりかで津山を訪れる機会を得た。子どもの時分、病気し吹き出物にも困っていたとき、学校の周りのお宮さんにお参りして大変おかげを受けたのを覚えている。ついてはお礼に参ってみたいので、その場所を教えてほしい。」
その時私は、「学校周辺にはお宮はなく、河面の八幡様か福井の金刀比羅宮(ことひらぐう)ではないか。」と応えたが、私自身不明を恥じる次第となった。
 後で分かったことだが、校長室にある広野小初期の藁(わら)ぶき校舎を描いた絵に、広い参道と鳥居が校舎のそばに描かれている。また、江戸時代、「東作誌」の田熊村上分にも、小祠の祭神の記述が見られ、古くからの存在が裏付けられた。社伝は明らかではないが、社のなかに「広野神社御本殿再建正遷(せいせん)座鎮祀(ざちんし)当社氏子安全斎主宮司 豊田元留 昭和四九年壱月弐拾七日」と銘がある。

広野小裏山 小祠に祀られている広野神社の続きを読む

東日本大震災被災者への支援物資(略礼服、ミシン)のお願い。

DSC02541.jpg津山ホルモンうどん研究会から,東日本大震災被災者への支援物資(略礼服・ミシン)の提供のお願いです 津山ホルモンうどん研究会は つやまNPO支援センターと合同により 東日本大震災で被災された方々への支援活動として 現地から要望のあった「略礼服・ミシン」の提供を行うことになりました。
 提供品については、震災から丸1年が経過する3月11日に合わせて、遺族の方が慰霊祭や追悼法要等に使用される略礼服が不足しているとの要望に基づいて、そのサイズ調整を行うミシンも含めてご提供をお願いします。

・略礼服については、新品もしくはクリーニング済みのものとし、サイズを明記のこと。(号数や身長、ウェスト)男性用・女性用、夏・冬服は問いませんが和服は不可とします。

・ミシンについては、新品もしくは使用可能なもので、足ふみ式等の大きなものは不可とします。

 提供可能な方は、2月12日までに、つやまNPO支援センター(津山市井口21-1、津山市コミュニティセンター「あいあい」)までご持参ください(月曜日は休館日)。

津山ホルモンうどん研究会は、B級ご当地グルメでまちおこし団体連絡協議会(通称:愛Bリーグ)による炊き出し支援等、これまで3度(H23年6月、8月、11月)被災地支援活動を行っています。次回は3月9日~11日に、支援活動を予定しております。どうぞよろしくお願いいたします。

箕作家の墓所

mi2.jpg

箕作家の墓所

 箕作家の墓は、もと市内上之町の浄円寺内にあったが、阮甫が江戸に定住したあとここに移された。阮甫以降の省吾、麟祥など幕臣箕作家の墓所は、初め東京小石川の白山浄土寺にあったが、今は多磨霊園に移されている。秋坪・佳吉など津山箕作家の墓所や、奎吾・元八ら江戸箕作家の墓所ならびに大麓以降の菊池家の墓所は、ともに東京谷中墓地にある。

 箕作家旧宅が国の史跡に指定された昭和50年、宇田川・箕作顕彰会と津山市教育委員会により、解説板と標柱が設置された。しかし、歳月を経てそれらの傷みが激しいため、箕作阮甫の生誕二百周年にあたり、津山洋学資料館友の会が、広く市民の協力をえて整備したものである。(案内板より)
平成11年11月7日

箕作家の墓所の続きを読む

音楽祭9月21日イルカファミリー・コンサートの報告

800DSC_6237.jpg

第8回津山国際総合音楽祭 2011年9月21日(水)イルカ 40th Anniversary コンサート

2011~2012(イルカ ファミリー・コンサート ~ 震災復興支援 ~)

津山文化センター 大ホール/18:00 開場、18:30 開演

津山市の市政アドバイザーでもある、シンガーソングライターのイルカが、実父でジャズ・サックス奏者の保坂俊雄と、息子の神部冬馬の3世代で贈る、ほのぼのコンサート。
出 演:イルカ、ゲスト:保坂 俊雄(イルカの実父)、神部 冬馬(イルカの長男)、津山少年少女合唱団
提供:イルカオフィス   企画制作:MS エンタテインメント・プランニング
協力:IUCN 国際自然保護連合/日本クラウン

音楽祭9月21日イルカファミリー・コンサートの報告の続きを読む

「イルカ ファミリー・コンサート」9月21日のご案内

イルカ800.jpg◆イルカ  

シンガーソングライター、絵本作家。
 東京生まれ。女子美術大学に在学中からフォークグループを結成、シュリークスを経て1974年『あの頃のぼくは』でソロデビュー。翌1975年、かぐや姫のメンバー伊勢正三の作詞・作曲による『なごり雪』をカバーして大ヒットした。夫の故・神部和夫は幼少時代、津山で過ごした。イルカとは1972年に結婚、シュリークスのメンバーだったが、イルカのソロデビューに伴い、彼女の音楽プロデューサー及びマネージャー業に専念。2007年に他界した。
 また、イルカはIUCN国際自然保護連合親善大使、津山市市政アドバイザーを務める。


2011~2012 ~震災復興支援コンサート~ 


 

  9月21日(水)イルカ ファミリー・コンサート津山文化センター

18:00開場18:30開演 入場料:3,500〔全席指定〕 ※無料託児サービスあり。

津山市の市政アドバイザーでもあるシンガーソングライターのイルカが、実父でジャズ・サックス奏者の保坂俊雄と、息子の神部冬馬の三世代で贈る、ほのぼのコンサート。

ゲスト出演:津山少年少女合唱団 〔情報提供:津山国際総合音楽祭委員会〕

「イルカ ファミリー・コンサート」9月21日のご案内の続きを読む

川崎八幡神社の湯立て神事

川崎八幡2122の3.jpg

▲湯立て神事(写真は2010年) 川崎八幡様年取材記事 

川崎八幡神社縁起 

 鎌倉時代(1185~1333年)後期、朝廷は南北に分裂し、うち続く戦乱に世相は騒然を極めていた。

 元弘二年(1332年)後醍醐帝は、隠岐配流の途中、院庄に駐輦された。
 備前国の忠臣、児島高徳は、杉坂峠(作東町)から御跡を慕い、院庄館で夜陰にまぎれ庭の桜樹に十字詩を奉った。

当事の林田郷川崎村は、吉井川と加茂川が合流して出来た三角州一帯(宇古屋敷)に在り、農耕を主体として生計を営んでいた。洪水による自然災害や、うち続く戦乱のなかで住民は信仰により安住を求めるようになったのであろう。
 元弘元年(1331年、661年前)豊前国宇佐郷(大分県宇佐市)に鎮座する宇佐八幡宮(祭神:誉田別尊「応神天皇」、比売神、気長足姫尊「神功皇后」の三神)を勧請し古屋敷地内に奉祠した。

 慶長八年(1603年、389年前)森 忠政が津山藩主として、信州川中島から、18万6500石を領し入卦、二代長継、三代長義に亘り、石高を増やすため新田の開発を図るとともに、平地から集落を高地へと移転させ農地の拡張を図ったため、実石高は26万石を超えるまでとなった。

 貞享二年(1685年、307年前)三代藩主長義の代に、川崎村の集落は北側の高台(宇寄広)に移転させられた。これにともない、神社も現在地(津山市川崎八幡西1042番地)に遷祠され、社号を弓矢八幡宮と称し安産の守護神として氏子はもとより近隣からも崇敬された。

 境内に三宝荒神社、末社として大歳大明神、惣道大明神、春日大明神、兼田大明神の四社が合祠された。

 現本殿は、近郷まれに見る緻細な彫刻を配しており、文政四年(1821年、171年前)津山藩主、八代松平斉民(確堂)の時代に再建されたものと考察される。(基礎台石に文政治四年三月、石工嘉左衛門の記名がある。) 旧拝殿や舞台、御輿、末社について江戸中期から後期にかけて建設されたものと考えられているが記録はない。先祖代々、崇敬維持されてきた神社拝殿、末社が老朽のため、このたび改築の運びとなったことは、氏子をはじめ関係者の皆様の信仰と郷土愛の賜であり、これを子々孫々に至るまで敬拝、継承を念ずるものであります。(2011年7月18日取材)

川崎八幡神社の湯立て神事の続きを読む