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取材記事内を検索ワード「東津山駅」で検索した結果,16件の記事が見つかりました。

因美線 高野駅

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高野駅は、西日本旅客鉄道(JR西日本)因美線の駅である。    (2016年5月14日・15日撮影)
1928年(昭和3年)3月15日 - 因美南線として美作加茂〜津山間が開業した際に設置。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道の駅となる。
1997年(平成9年)11月29日 - 行違い設備廃止。
単式ホーム1面1線を持つ地上駅(停留所)。かつては相対式ホーム2面2線であったが、急行「砂丘」 廃止の際に、かつての智頭方面行きホーム側(駅舎から見て反対側)の線路は本線と離されている。現在は棒線駅のため、かつての津山方面行きホーム側に智頭 方面行きと津山方面行きの双方が発着している。なお、廃止されたホームへは構内踏切で連絡していたが、2014年4月時点では撤去されないが、鎖で仕切ら れてありかつてのホームには立ち入れなくなっている。 だが、ホームの壁面に書かれた「智頭方面」という文字が判読できる。駅舎はあるものの無人駅(津山駅管理)であり、自動券売機や乗車駅証明書発行機などは設置されていない。(文:ウィキペディアより抜粋)

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因美線 東津山駅

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東津山駅(ひがしつやまえき)は、岡山県津山市川崎にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅。津山駅管理の無人駅である。因美線の終着駅で姫新線に接続しているが、運転系統は所属線を越えて津山駅を終着とし、当駅始発、終着の列車は設定されていない。1928年(昭和3年)3月15日開業、1997年(平成9年)11月29日 - 急行砂丘が廃止、急行停車駅から一転して快速通過駅となる。2000年(平成12年)5月1日 - 津山鉄道部東津山分室廃止、直営有人駅から無人化。構内にはかなり古い設備も残されており、例えば1942年(昭和17年)製の支柱などが現役で使用されている。(文:ウィキペディアより)2016年4月14日・5月13日撮影

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津山まなびの鉄道館(旧津山扇形機関車庫)特集!

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津山まなびの鉄道館の開館時間 9:00〜16:00(最終入館受付は閉館時刻の30分前まで)
※季節などにより閉館時刻を繰り下げる場合があります。
休館日 毎週月曜日(祝日の場合はその翌日)、12月29日~12月31日
その他、2016年5月14日(土)・15日(日)には「みまさかスローライフ列車」が運行します。
旧津山扇形機関車庫が改装オープンしたことに伴い、今まで取材したものを含めて津山まなびの鉄道館(旧津山扇形機関車庫)特集!を組んでみました。全国にも誇れる鉄道遺産です。津山城「鶴山公園」共々大きな輪に育てていきましょう。

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【津山人】赤坂 健太郎さん

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赤坂さんは、津山市出身で現在は、岡山市に在住されています。只今は、津山市観光ボランティア「お国自慢」のメンバーで大活躍しておられます。そんな赤坂さんにお話を伺いました。「津山といえば、歴史と文化と古い町、津山城がとても印象的な街だと思います。また、津山の魅力を写真で伝え、津山のPRに繋げてゆきたいと思っています。不思議、謎を見つけて皆さんに再発見してもらえたら楽しいかも?将来の夢は、写真を通して子ども達へ文化・歴史の継承をすること。」と明るい笑顔で語って下さいました。

また、瓜生原には生家があり、その一角に趣味で集めたものを展示しておられるそうです。

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国分寺

鎮護国家を標榜された聖武天皇は国ごとに国分寺、国分尼寺を置かれましたが、美作国にも現在の東津山駅から1kmばかり南東の場所に作られました。全国の国分寺の中でも最大級のものだったようです。(→史跡:美作国分寺跡についてはこちら

しかし、当時の建物は、兵火によって悉く灰燼に帰し、今は礎石が幾つか残るのみとなっています。現在の建物は津山藩松平氏の援助により、文政11年(1828)に再建されたということです。

https://www.e-tsuyama.com/knowledge/history/kokubunzi/kubunnizi.html