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取材記事内を検索ワード「花まつり」で検索した結果,15件の記事が見つかりました。

第15回はすの花まつり(久米南町)

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岡山へ向かう途中(久米南町道の駅近く)に「第15回はすの花まつり」の旗がなびいているのを見かけ、岡山から帰りに寄ってきました。明日がはすの花まつりだそうで、忙しそうにハスの花販売の準備をされているみなさんに写真を撮らせていただきました。はすの花は30種類あるそうです。また、盛りだくさんのイベントも催されるそうですので、お近くの方は一度行って見てはいかがでしょうか?(2015年7月11日取材)

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2015年, 大聖寺のアジサイ(美作市)

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山陽花の寺二十四か寺開創5周年記念 花法要があるそうです。(2015年6月23日取材)

大聖寺にはアジサイを始め日本アジサイの古代原種ともいわれ自生する銀梅草などさまざまな山野草に彩られた庭園も一見の価値あり!
今年(2015年)のあじさい花まつりは7月12日(日曜日)まで開催しているそうです。

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物見神社の花祭り(岡山県指定重要無形民俗文化財)

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 物見神社の花まつりは、氏子が五穀豊穣を感謝し、家内安全などを祈願して造花を奉納し、御神幸に彩りを添える行事です。

 物見は3地区あり、傘型の花は、各地区で桜・柳・梅の3種類にわかれています。各地区の村人がそれぞれの地区に集まり、手分けして1日がかりで、柳・竹・色紙などを使い、趣向をこらして作成するもので、大人1人では支えられないくらいの重さのものです。作られた花は、祭り当日の朝、組み立てられ神社に奉納されます。午後、お旅所での神事の後、境内で太鼓の合図と同時に参拝者が取り合って持ち帰り、厄除けとして飾っておきます。また、輪にして屋根の上に乗せておくと火除けになると言われています。(県指定重要無形文化財)

※花の取り合いが終わった後、境内下の運動場で餅投げが行われます。又、前日の夜と、当日の午前中、だんじりに子どもを乗せて、物見ゼンチクをまわります。(今年は小雨が降ってもち投げは境内でなされました。)2012.10.28日取材(文:加茂観光センターより)


 物見神社は大正二年四月二十二日、浦栲の素盞鳴神社、天満神社境内にあった稲荷神社を合祀して旧天満神社跡にまつり、大字物見の名称を社号とした新しい氏神であり、祭日は四月十八日であった。その後、昭和二十四年、上加茂神社に合祀された旧氏神の天満神社を遷座して今日に至っている。2012.10.28取材(文:加茂町史より)


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長雲寺

 医王山 薬師院 長雲寺縁起
 往古、聖武天皇の御代に、行基菩薩の建立されし東漸寺(当時の東百メートルに地名が残る)は尼子・毛利の争いのため灰燼に来す。その跡地に残りし薬師如来像を運びて薬師堂を建立す。
 寛永元年(1624)備中の僧西乗院この地に来りて1寺を構え、いくばくもなくして帰る。同3年(1626)僧円寿、住職し、医王山長雲寺と号す。明暦 3年(1656)津山城主森長継公の女が眼病にて参詣祈願し利益を得て平癒す。よりて長継公堂宇を新築寄進す。爾来、賽者多く、世人伝えて出雲一畑薬師の 分身なりという。毎月8日の本尊縁日には終日参詣者が絶えない。
・本尊/薬師如来、脇侍 日光菩薩、脇侍 月光菩薩、脇侍 十二神将。本尊薬師如来の脇侍ならびに守護神にして、本尊如来の両脇に祀る。特に十二神将は薬 師如来を信修する者を1年間1躰ずつ開扉す。

・鎮守堂/本尊摩利支天。南岸の石山寺の摩利支天と対峙し、武運の守護神として尊崇さる。寛政11年(1761)に逝去されし武人、東常直も当山鎮守堂の施主なり。(当時の位牌有り) 別尊、三鬼大権現。養蚕の神として尊崇さる。
・石仏三十三観音/参道の両脇に祠られおりしを、大正年間、本堂裏に移し祠る。お堂巡りをし巡拝すれば、西国三十三ヶ所の巡拝すると同じ功徳を得るといわる。
・石仏/腰折れ地蔵(石段下の堂に祀る)いつの頃よりか、腰を病む者に御利益ありと詣ず者多し。地蔵に詣でし後、地蔵の腰紐を借り、御利益を受くれば、新 しき紐を倍にして返す。 地蔵常に新しき紐を多数諦めてござる。(2010.1.16取材)

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