中世夢が原(中世の歴史公園)

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 2026年5月5日、友人に誘われ、友人ゆかりの地である井原市美星町三山の「中世夢が原」を訪れました。中世夢が原は、鎌倉時代から室町時代にかけての吉備高原の村の暮らしを再現した歴史公園で、まるで当時にタイムスリップしたような雰囲気を味わうことができます。
 園内を歩きながら、友人が子どもの頃の思い出や地域にまつわる話を聞かせてくれたことで、この土地への理解がより深まりました。同じ岡山県内にありながら、まだまだ知らない歴史や文化、魅力あふれる場所がたくさんあるのだと改めて感じました。
 今回の訪問をきっかけに、これからは県内の近隣の町々にも積極的に足を運び、それぞれの地域ならではの歴史や風景、人との出会いを楽しみながら、新たな発見を重ねていきたいと思います。

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中世夢が原は鎌倉から室町時代にかけて吉備高原一帯にみられたむらのようすを歴史考証にもとづいて再現したものです。茅葺きの農家では囲炉裏に火がたかれ、峠をこえると三斎市のにぎわいが・・・。
市の向こうには山城がそびえ、山裾には城主の館があります。

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NHK「坂の上の雲」ロケ現場          NHk「武蔵」ロケ現場

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堂:中世―鎌倉から室町期にかけては、仏教が民衆社会にも広まった時代である。 そこで、観音堂・地蔵堂・薬師堂などが各地に建てられることになった。この形式は、もっとも簡単なもので、四本柱のみのため、「四ッ堂」ともいわれる。中国地方に多くみられ、辻や峠のように村落の境界地点に建てられている例が多い。堂を使っての行事は、今日ではほとんどみられないが、かつては日を決めて村人が布施(ふせ)を行なったもので、多くの旅人がその恩恵にあずかったといわれる。(文:現地説明版より転載)

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農家:人びとが日々の暮らしのなかでもっとも恐れていたのは、火事や水害、それに土砂くずれであった。そのため、人々は、川を避けて地盤のかたい山の中腹や丘陵地に家を建てた。そして、さらに、火をあつかう炊事場と寝所(しんじょ)の棟を分けるという工夫をしている。現存する例から、この建築様式は南方系とみられる。厳しい寒さや深い積雪にみまわ れる東北日本でその痕跡がみられないのは、移動のためには、いちど戸外に出なければならなかったことと、火を暖房にも利用したためと思われる。
 なお、愛知県や千葉県には、炊事場と寝所の棟は別でありながら、両方の棟をつないだ民家が現存するが、これは分棟式から一棟式に移行する過渡期の形態であろう。(文:現地説明版より転載)

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農家:一棟式の民家が普及すると、火や水を使う炊事場は土間、とくに寝所は湿気を避けるためには床、という区別がはっきりみられる。
屋内は、地元に伝わる生活様式と建築材料を加味してのものであったが、大工道具が未発達で板材が貴重な時代、床や壁には竹が多用されたと思われる。それは、現在でも東アジア各地に伝わる様式である。
なお、防寒のためには、開口部を少なく、土壁を厚く、軒を低くするなどの工夫がみられる。(文:現地説明版より転載)

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美星語りの会「こすもす」会場

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農家:中世も前期の大工道具は、古代とほとんどかわらず、鋸(のこぎり)は横びき、鉋(かんな)は槍鉋(やりかんな)、 それに鑿(のみ)・斧(おの)・手斧(ちょうな)などが主な道具であった。そのため、柱や板の面をとるときは、材木を割りさいて、 手斧や槍鉋で仕上げたため、面にはその削り跡が波状につくことにもなった。しかし、中世末期ーー十六世紀ごろになると、縦びき鋸(のこ)と台鉋(だいがんな)が出現。 とくに板材の加工が容易となり、板を多用する建築様式が発達する。 そして、それにあわせて、戸棚や建具の発達もみられる。(文:現地説明版より転載)

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藍染めや竹とんぼづくりなどの体験もすることが出来ます。

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中世の穴窯(あながま) 炎窯

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NHK武蔵ロケ現場:前方の三斎市では、あずみとながらとこずえが待ち伏せしていた真田方の甲賀衆と出会うシーン。左手の屋敷では、あずみが身寄りのない幼子に思いを寄せるシーン、 また城主の館では、真田昌幸と空如がいくさを決意するシーンが撮影されました。

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三斎市:中世は、市の発達をみた時代でもある。町内にはいまもハ日市という三斎市(日を決めて月に三回立つ市で、八日市の場合は毎月ハのつく日に開かれた)のあとが伝えられている。しかし、建物はすでに建てかわっており、往時を知るには絵巻物がもっとも重要な資料となる。
それによると、草ぶきの堀立小屋もあるし、板屋根で壁囲い、売り台のついたものもある。それらは、終戦 ― 昭和二十年直後の闇市などとも共通するところがあったと思われる。(文:現地説明版より転載)

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鍛冶屋さん

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火起こし                    

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三斎市

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屋敷:平生は農業に従事しながら、村役をつとめ、非常時には城へも駆けつける半農半士の家を想定している。この地方では、山城から至近のところにある本家筋の家がそれに相当する。 中世終わりのころになると、それらの家は、おそらく現在にも伝わる近世以降の建築様式に近いものであったと思われる。
なお、脇にある社は、町内に現存する株神を模したもので、摩利支天(まりしてん)の神がまつってある。ちなみに、摩利支天信仰は、中世において武家社会で流行したものであり、古く士分であったことを伝えているとみられる。(文:現地説明版より転載)

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三斎市                     城主の館

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館:城主の執務所と住居を兼ねたものを想定した。表側を執務の場所、裏側を生活の場所として、構造や間取りは、足利氏の寝殿や朝倉氏の館、国立歴史民俗博物館の展示模型などを参考にしている。 建築様式としては、すでに間仕切りや棚、建具などに後世につらなる京風の瀟洒な様式ーー縦びき鋸(のこ)や台鉋(だいがんな)を使ったり、透かし彫りを施したりしたものーーが部分的にとりいれられていたと思われる。
なお、付属屋として、侍所(さむらいどころ)厩(うまや)・厨 (くりや)・櫓門(やぐらもん)などを、同様の資料をもとに配置した。(文:現地説明版より転載)

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城主の館

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美星天文台                   城主の館

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写真左(物見櫓)/山城:町内には、土塁 (どるい)・空堀(からぼり)・堀切(ほりきり)・抜け道・井戸などの中世の山城の顕著な特色をもつ小笹丸城址や金黒山城址などがある。とくに、小笹丸城址については、『備中兵乱記』と『古戦場備中府志』からも、十六世紀後半期のその存在がほぼ明らかである。建造物については明らかでないが、その面積から後世の城に相当するようなものはなかったと思われる。ただ、山岳寺院の城塞化もあって、当時は櫓(やぐら) 様式の建築が発達しており、ここに物見櫓(ものみやぐら)を想定した。

写真右/詰所:中世の山城は、かならずしも戦闘用とみることはできない。当時から、狭い耕地を耕し、通行や商いの要所ともいえないこの地方では、むしろそこから見える範囲を自領とする象徴のようなものと考えるのが妥当であろう。しかし、当然、物見櫓(ものみやぐら)や警備所は備えていたはずで、「すわ一大事」となると、麓から士分の者が駆けつけたと想定できる。その場合、何よりも必要なのは兵糧(ひ ょうろう)であり、そこには相当量の食べものが貯えられていたと考えられる。(文:現地説明版より転載)

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備中神楽

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神楽の衣装

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神楽舞台                    神楽面

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