勝央町の横山さん宅のバラです。
勝田郡勝央町平975-6の横山秀樹さん宅のバラです。(2012年6月3日取材)
今年も見事なバラが咲いていました。横山さんにお訊ねすると「少し終わりの方ですがどうぞどうぞ」と笑顔で応対くださいました。庭園の芝が草1本も無いほど綺麗に手入れしてあり驚かされます。バラは大輪の花が主で見事です。
勝田郡勝央町平975-6の横山秀樹さん宅のバラです。(2012年6月3日取材)
今年も見事なバラが咲いていました。横山さんにお訊ねすると「少し終わりの方ですがどうぞどうぞ」と笑顔で応対くださいました。庭園の芝が草1本も無いほど綺麗に手入れしてあり驚かされます。バラは大輪の花が主で見事です。
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▲森田宗克さん宅(久米南町山ノ城349)のバラです。(2012年6月2日取材)
森田さんご夫妻は大阪府から5年程前(2007年)にこちらに来られ、広いお庭や自宅前の畑などを1年目は開墾、2年目から順次バラ園を作ってこられたそうです。このバラ園の名は「里山華農園349」で、多くの人に知ってもらい楽しんでいただきたいとおっしゃっておられました。
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赤堀さん宅のバラ(2012年5月30日取材)
津山市上村319-1(旧勝北町)にある赤堀加津枝さんが育てているバラです。お花の好きな赤堀さん宅の庭にはバラをはじめ四季には色とりどりの花々が咲いています。今年もバラが見事に咲いていました。(2009.5.27の様子はこちらをご覧ください)
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2012年5月20日アルネ津山4階で絵や書の展示会がありました。
【北川恒夫絵画展】が平成24年5月18日~5月23日までアルネ津山4Fアートギャラリー1でありました。北川さんは絵画グループ「アルモニーア」の主宰。(※北川さんの息子さんは北川宏人さんで、宏人さんの作品は、東京近代美術館の工芸館(2体)。金沢21世紀美術館(5体)。それに津山リージョンセンター(1体)にあります。)
また、津山市と鏡野町で講師をしている八木泉さんと生徒さんの作品展【べる・ふぉんて展】が5月21日まで市立文化展示ホールで開かれました。同時開催で書家の山下虔華さんが主宰する遊の会【理波展】が「繋ぐ共感を込めて」をテーマに展示され、どちらも大勢のファンで賑わっていました。
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天井画をもう一度拝見したいと、清應山 高福寺の本堂をお訊ねしてきました。
津山市林田にある清應山 高福寺の本堂建設は、相当な経費をかけての大工事であった。大工棟梁は、播州赤穂南野中村から善左衛門清貞が呼び寄せられ、総ケヤキで高度な技術を駆使しており、当時としてはかなり優れた本堂に仕上げたのである。更に、本堂格天井画には極彩色で描かれた、天女や植物の画132枚がはめ込まれている。これは、本堂建設に先立って、津山藩絵師「狩野如林乗信」に依頼して描いたもので、工事が開始された安永3年の6月28日には既に完成している。(大師殿・客殿・庫裏落慶記念誌より抜粋)2012年5月20日取材
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平賀元義(ひらがもとよし)(1800~1865)という人
幕末に万葉調の歌人として活躍した国学者で、正岡子規や斉藤茂吉等に影響を与えた人で個性的な書風を持つ歌人としても知られる。
1800年(寛政12)に岡山藩士平尾長春の子として生まれ、岡山城下富田町で育った。
1832年(天保3)脱藩し、平賀左衛門大郎源元義と名乗って、備前、備中、美作などを放浪し、多くの万葉調の歌を作った。奔放純情で奇行が多かった、と伝えられる。
生涯不遇の人で、学才を認められた矢先、路傍で卒中のため急死した。
平賀元義という人は作州を中心に旅を重ねた人で、弟子にこよなく愛された人である。
◎エピソード
・仏教が大嫌いな人で、仏教信者と袖が触れただけでも禊(みそぎ)を繰り返したという。
・武士の魂を持ちつつ、弟子の家を渡り歩いていた歌人。
(門人の家では塩とチリシを使い放題使ったので門人の奥さんから嫌われていると悟ったら、また次の門人を探して宿にしたが、門人からこよなく愛された人。
・使い古した着物を着ていた。
200年前の江戸の眺望に、現代の東京が重なります。(2012.3.14)
江戸一目図は、隅田川のやや東寄りの上空から眺めた、江戸の眺望と考えられています。そして、いま、まさにその場所にスカイツリーが建設されました。もし、江戸時代にスカイツリーがあったなら、鍬形蕙斎(くわがたけいさい)には、この江戸一目図の眺望が、現実のものとして見えていた筈です。
平成24年5月に開業するスカイツリーの展望台からは、江戸一目図の複製展示によって、江戸の眺望と現代の東京を見比べることができます。(資料提供:津山郷土博物館)
津山藩松平家の御抱え絵師鍬形蕙斎が文化六年(1809)に描いた江戸の景観図「江戸一目図屏風」は、東京スカイツリーの2012年5月の開業に実物大の複製パネルが地上350メートルの展望台に設置されます。津山郷土博物館所蔵の紙本墨画淡彩江戸一目図屏風、岡山県指定重要文化財、3階展示室に展示
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曹洞宗 成興寺
沿革
そもそもの成興寺開基は、夢窓国師(京都天竜寺開山)と伝えられ、JR因美線美作河井駅から登る矢筈山上にありました。久しく廃絶していた寺を天文年中(1532~54)に、草苅加賀守衡継が矢筈山頂に居城を築く際、菩提寺として再興しました。(成興寺丸跡あり)
天正12年(1584)草苅氏退城後、寺も廃址に帰しましたが、文禄3年(1594)に草苅氏の家臣で、小中原の土豪中西孫左衛門が、現在地に再興しました。元禄2年(1689)津山西寺町長安寺三世白善嶺雲和尚が曹洞宗に改めて開山となりました。現住職小倉玄照和尚は、第十三世。(2012年4月21日撮影)文:曹洞宗 成興寺(津山市加茂町小中原41)