久保(ひさやす)神社 (旧久米町)

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久保(ひさやす)神社   (2012.5.22取材)
 祭神は保食の命・句々迺馳の命、祭日は、例祭10月15日、祈年祭5月1日、新嘗祭12月15日である。
 当社は古くは久保妙見社、久保大明神などと称していたが、明治4年7月に太政官布告によって久保神社と改称され、昭和35年3月には青木神社を本社に合祀して今日に至っている。
 本社は寛文13(1673)年、本殿の再建立の行われた棟札があって、それより以前のことは全然わからないが、それ以後のことは棟札や棟札を写した記録によって沿革の大要をたどることが出来る。文政6(1823)年の頃迄の約150年間程は大字宮部下の中尾家の人によって神主が勤められていたので中尾家につたわる書(棟札の写しと、神社にある棟札とを年代順に整理した文書)がある。 sandou.jpgtorii.jpgsandou1.jpgjizou.jpg
 棟札によって伺う本社の沿革に就いては明治31年に山林が此の神社へ寄付されている。大字宮部下松尾幾助外47人共有の大字宮部下字宮ノ下一千二番山林 一反一九歩外一筆、松尾近平外47人所有の大字宮部下字宮ノ脇九百八十五番山林一反七畝二十八歩、薮木源治外47人所有の大字宮部下字尾添千百三十六番山 林一反六畝十八歩外三筆が寄付され都合三件、四反五畝二十五歩と外に四筆が久保神社に寄付された。昭和27年11月20日には岡山県指令展第1250号を 以て宗教法人法による久保神社が岡山県知事によって認証され、昭和35年3月には青木神社が本社に合祀された。
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 境内神社は広い社叢の中の各所に存在しており、祭神保食の神の御使いしめを祀ったものとされている祠が一番大きく、本殿の左前に位置しており、其の他の祠は本殿から少し離れて、お伊勢様・荒神様・摩利支天様・遠藤氏の祖霊社等がある。
 此の神社境内の近くに、久保山普門寺跡がある。
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                                ご案内いただいた久保神社の松岡俶夫宮司
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文提供:久保神社(久米町史より)