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取材記事内を検索ワード「バラ」で検索した結果,163件の記事が見つかりました。

2022 芦田さん宅のバラの花達(志戸部)

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 2022年5月22日 芦田さん宅のバラの花達に会ってきました。
芦田さんから「今、奇麗に咲いているからお茶しにきてね!」とのお電話いただき、早速行って来ました。着いてみると、華やかなバラの花や、クレマチスの花などが美しく咲き乱れていました。芦田さんの一つ一つの花の解説が入り、大切にいつくしみ育てたことがよくわかります。特に好きな花の色は紫だそうです。(2021年の様子)(残念ながらここはオープンガーデンではありません。)

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2022 甲本バラ園(領家)

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 2022年5月18日に津山市領家にある甲本通晴さん宅のバラ園をお尋ねしてきました。ここのバラは約320種あるそうですが、今年は可愛い草花も沢山お目見えです。
 昨年は甲本さんが体調をくずし、バラのお手入れもままならなかったのですが、今年は元気になりバラづくりに精を出されたそうです。「今年は綺麗に咲いたので見てください。」と笑顔で話されていました。また、ここのバラは四季咲きで、10月頃まで楽しめるとのことです。(2021年の様子)(オープンガーデンで誰でも無料で見ることができます。)

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2月のイナバ化粧品店内

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 2022年2月18日のイナバ化粧品店内の様子です。
全国で先行きが見えないコロナ禍に閉塞感がいっぱいの中、岡山県でも3月6日までまん延防止等重点措置の対象地区となっています。そんな中ですが今日もママは店内で元気にお仕事に頑張っておられました。ただ、外出もままならず、毎日少々退屈だそうです。お友達も全国の皆さんも我慢中!「早く終わってほしいわぁ~。どこにも行けないけど、私は毎日お店に出て若い人と話ができるから幸せ。」でも、お友達は暇を持て余し、毎日「なにしとん?」と電話して来られるそうです。その気持ち解りますわ。

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秋空に美しく咲くバラの花(甲本バラ園)

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 2021年10月14日、津山市領家にある「甲本バラ園」(津山市領家1163-6)をお尋ねしてきました。
甲本通晴さんのバラ園では、四季咲きの色とりどりのバラの花が咲き始めていました。甲本さんは、「秋のバラの花はつるバラが咲かないので、春ほど華やかではありませんが、夫婦で秋にも美しく咲くようにと丹精込めて世話してきたので、是非見てください。」と話されていました。今年も秋に咲くバラの花を求めて遠方から訪ねて来られているそうです。まだ、咲きはじめなのでこれからが楽しみなバラ園です。

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9月のイナバ化粧品店

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 2021年9月23日は稲葉浩志さんの誕生日です。57歳の誕生日おめでとうございます。
 お店に着くと店内にはすでに奇麗な花束が飾られていましたが、まだまだ続々と届いてくる花束を一つずつ丁寧にほどいて飾っているお元気なママと再会。
 コロナ禍の中で自粛が続いていますが、なんと今夜の音楽ライブ『テレビ朝日ドリームフェスティバル2021』のトリとして20:00~21:00「B'z」が出演するそうです。また、今月18日と19日にB'zとMr.Childrenが初共演したライブイベント『B'z presents UNITE #01』が大阪城ホールで行われたばかり。ママは、行かれた方に「どうだった?」とライブの様子を聞かれていました。

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【津山人】大空を飛んだ田中次郎(海軍中佐)

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 田中次郎 明治39年10月23日東京芝区生れ、昭和60年8月1日没(左の写真は兄田中孝夫と)
 大正2年(次郎が8歳の時)父田中治平が亡くなり、2年後家族は津山に帰って来た。
津山中学校4年終了後、父治平の跡を継ぎ江田島にある海軍兵学校に入り大正15年卒業、海軍航空隊に入り、父と同様に中佐となりましたが、外地で終戦になり2年後に帰還。(奥さんと子供三人は、戦争中は加茂町に疎開していた)その後、奥さんの実家の逗子に移った。


 息子さんの石城さんの著書の中に、ご両親と自分との関りなどで興味のあるところがありましたのでお送りします。
 次郎氏は「男は負け戦のことなぞ、他人に語るものではない。」という態度の方でした。例えば、奥様が夫の自殺を心配された時に「そんなことするものか、我々が日本を再興するのだ。」と。また、娘さんの千里さんには「収容所に居る時、米軍を通して天皇陛下より、負けたからと自殺しないように、必ず日本に帰ってくるようにとのお言葉があった。と父から聞いている。」
 また、本当は飛行機を製作することの方に夢があった息子の石城さんが、防衛大を止めて三菱重工業に就職するつもりでいた時「飛行機に乗れない奴が飛行機など造れるわけがない。」と次郎に言われ、それなら飛行機に乗ろうじゃないかとなって今の道に進むようになったとのこと。
 寡黙な人が本当に言うべき時に言う言葉は万金の重みがある。これが、大正、昭和の親父の姿だったと、懐かしく思いました。
 私のように百姓生れの女性には、もののふ、軍人には縁がなく育ってきましたが、いざというときに、自分の思いでなくて大義のために行動する男の心情のようなものに久しぶりに触れたように思いました。
 結局、田中次郎家では、海軍軍人になるため兵学校に入学した次郎氏が、その当時の日本の戦況の状況で一番必要な飛行機の操縦士となり、その息子も戦後の日本空軍に入り次郎氏の後を継ぎました。また、石城さんの姉千里さんは、内田耕太郎氏(防衛大学校卒・海上自衛隊幹部)と結婚、治平の敬愛する上官東郷元帥ゆかりの海上自衛隊舞鶴地方総監を歴任。治平と同じ海軍の道を全うされたと聞いています。(原田兼子さん談)

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【津山人】津山工業高校第6代校長 田中孝夫氏

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田中孝夫氏 画家(1902~1967)(田中孝夫の残した作品の一部
 明治35年1月30日西苫田郡小田中270で生れ。その後上京し、東京市芝区神谷町へ転居。大正2年4月29日父治平死亡後はそのまま東京に居住していたが、孝夫が小学校5年終了後、津山へ帰郷し津山市田町に居住。
 大正10年3月津山中学を卒業後、東京美術学校(現東京藝術大学)の西洋画科を卒業。美術教員の資格を得て、昭和3年4月兵庫県立丹波篠山高等女学校勤務、その後、岡山県立津山峰南高等学校(現津山工業高校)の第6代校長になる。昭和25年3月5日退職。しばらくして昭和31年作陽短大、昭和32年から美作短大の教授になる。人柄がソフトで穏やかでいつもにこにこしていたそうです。日本人離れした風貌なので女学生のあこがれだったとか。
 丹波篠山高等女学校時代に制作したバレーボールをする少女達の絵「さわやかな丘」が文展に初入選。その作品は迫力のある絵で最優秀作品候補になった。また、津山工業高校の校章をデザインしたのも孝夫だった。(文:埀井悦子さん、原田兼子さん添削)

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2021江見さん宅のバラ園です。

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 2021年の美作市にある年々進化している江見さん宅のバラ園です。
江見さん宅のバラ園は、バラだけではなく小さな可愛いお花も沢山植えられていて、色々と楽しめます。今年は山際の方にアーチが出来ていて更に広がっていました。ピンクのアジサイが新入りで可愛く咲いていました。また、花々の間からは可愛い動物が顔を出してお出迎えしてくれます。

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すっきり爽やか「バラジュース」

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 2021年5月30日モモママさんのゲストハウス下のバラ畑にて、沢山の花を頂きましたので、バラのジュースに挑戦してみました。作り方は色々とありますが、一番簡単な方法で試してみることにしました。バラの花200g・グラニュー糖200g・レモン汁200ccです。(私は沢山のバラの花を頂いたので多めに作りました。)お味は、さっぱりすっきり!夏の飲み物に最適です。各家庭で花びらが気になるようだったら、入れなくてもいいですし、また、お酒で割って飲むと爽やかです。

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富阪さん宅のバラ園(美作市)

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 2021年5月29日、美作市にある富阪皓一さん宅のバラ園を拝見してきました。富阪さんのバラ園はオープンガーデンではありません。あくまでも富阪さんのご趣味で、バラ好きの方たちとの交流を楽しんでいらっしゃるそうです。このバラ園のバラは約500株ほどあるそうです。その他、園内には大小様々なお花が咲き乱れていて花園に居るようでした。

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