鶴山おこわの「寂光庵」
武田待喜堂さんが運営する、鶴山おこわが食べられる隠れ家のような「寂光庵」です。
徳守神社のすぐお隣で静かな所にあります。建物は大正初期に建てられた民家で、つついてないのが歴史ファンには嬉しいですね。この家が売りに出され、武田さんが譲り受け「寂光庵」としてランチを提供しておられます。大人のランチと言ったところでしょうか、量も多すぎもなく、少なすぎる事もなく丁度いい感じです。3日以上前にお願いします。(要予約TEL0868-22-3682)
武田待喜堂さんが運営する、鶴山おこわが食べられる隠れ家のような「寂光庵」です。
徳守神社のすぐお隣で静かな所にあります。建物は大正初期に建てられた民家で、つついてないのが歴史ファンには嬉しいですね。この家が売りに出され、武田さんが譲り受け「寂光庵」としてランチを提供しておられます。大人のランチと言ったところでしょうか、量も多すぎもなく、少なすぎる事もなく丁度いい感じです。3日以上前にお願いします。(要予約TEL0868-22-3682)
ソシオ一番街・アルネ東広場に2018年12月8日からお目見えしたイルミネーション「マチナリエ」です。期間:2018年12月8日(土)~2019年1月26日(日)
今年は、ソシオ一番街アーケードの天井に飾られた提灯や傘のイルミネーションが素敵でした。また、まちなかサロン再々に設置されたイルミネーションは、若い人に人気の様で盛んにスマホで撮っていました。ここで椅子に腰かけたらきっとインスタ映えすること間違いなしです。
12月22日はお楽しみのクリスマスイベントがありますよ~。尚、消灯式は1月26日です。
2018年5月3日・4日に「第3回牛魔王選手権」が「津山城つるまる広場」で開催されました。予報では津山地方の3日は雨とのことでしたが、曇りから晴れになり多くの人で賑わいました。会場では、出展者22店舗(投票対象外4店舗)が自慢の牛肉料理で味を競い合い、投票により優勝者を決定という流れでした。平成30年の第3回牛魔王は、「居酒屋上屋のネギまみれの焼きそずりポンズ」、「第2位は城下町肉処櫓の炙り牛タン寿司」、「第3位は新見食肉 千屋牛バーベキュー串」でした。
また、3日には江戸時代の甲冑の着付け体験があり、子ども達にも大人気でしたよ。(2018年5月3日撮影)
棟田 博(むねたひろし) ー故郷を愛した人情作家ー
「降るかとみればやみ、やむかと思えば降り、昨夜は危ぶまれたが、今朝は雲も見せぬ快晴である」と書き出しているのが「分隊長の手記」である。これが棟田博のデビューになった。彼が「赤紙」の戦時召集をうけたのは昭和12年、岡山の歩兵十聠隊に入ると第二次補充部隊要員として、北支の赤柴部隊に加わることになっていた。そして同13年5月の徐州会戦のとき、台児荘の戦闘で負傷、戦列を離れた。短い戦場体験であった。棟田は正規の徴兵検査に合格、軍隊生活をおくっていたので伍長になっていた。召集で分隊長であったのはそのためだ。「分隊長の手記」は14年3月号の「大衆文芸」から連載されたが、11月には単行本になって、翌年1月までの僅かな期間に30版を重ねた。すごい人気のデビューになったが、それには次のエピソードがあった。
新見藩の歴史
このまちは江戸時代元禄10年(1697年)に初代新見藩主関長治侯によってつくられたまちです。新見藩は1万8千石です。元禄時代はすでにお城は造れない時代でしたので、御殿(官邸)を建て、そこで政務を執られました。このことによりこの地区を新見御殿町と言っています。
関家と森家の本国は美濃です。両家は濃い姻戚関係にあり、共に織田信長に仕えておりました。天正10年、本能寺で織田信長に最後まで従って戦死した森蘭丸、坊丸、力丸の一番末の弟が千丸で、千丸だけが幼くて美濃に残っておりました。その後、千丸(森忠政)は関ヶ原の戦いで功を認められ、徳川幕府から津山藩18万6千石を賜りました。この森忠政侯が津山藩森家の藩祖です。その時、関家も津山へ移りました。津山藩森家の2代目のお殿様は関家の長男(長継)で、長継侯の子、長治侯は逆に関長政侯の養子となり、作州津山藩の中に1万8千石の領地をもらって大名となりました。森家5代目衆利侯が急死し、跡継ぎが無かったのでお家は断絶。森家は分かれて播州三日月城と播州赤穂城へ移らなければならなくなり、それに伴って関家も津山から新開地の新見へ移封されることになりました。元禄10年のことです。こうして新見藩が誕生したのです。
その後、新見藩関家は明治まで9代続き、現在は第13代末裔の関勝氏は埼玉県におられます。
皆様、明けましておめでとうございます。昨年中はいろいろとお世話になり、心よりお礼申し上げます。今年もどうぞよろしくお願い致します。
道家大門(ひろかど)は天保元年(1881、旧暦天保元年11月18日が西暦1831年1月1日にあたる)12月10日津山藩士遠藤浦右衛門正利の四男として生まれた。幼名弥作、のち助十郎、順と名乗った。伯父にあたる同藩津田七太夫文行は藩の料理番を務めていたが、津田家の長男真一郎は学問修行のため廃嫡、次男鉄次郎は早逝したため、従兄弟の大門が養子となって津田家を継いだ。一時期津田弥作儲美と称していたが、津田の本姓が道家であることを知り、文久元年(1861)に道家と改姓した。その後料理番より進み、慶應4年(1868)に御刀番、明治維新後に作事奉行となる。同年藩より国学修行を仰せ付けられ、平田鎮胤(平田篤胤養嗣子)に入門した。
2017年7月22日の午後1時過ぎの様子です。蒸し風呂に入っているような暑さの中を、おもてなしブースでは、津山の水の無料配布や、地元の肉料理の販売をされました。暑い中の作業お疲れ様でした。また、B'zのグッズをお求めの皆さんも炎天下の中長時間お疲れ様でした。新地通商店街さんや元魚町商店街さんは、少し戸惑いながらも初めての試みを頑張っていらっしゃいました。
2017年7月22日のB'z津山公演のおもてなし会場のご案内です。
「公演当日は、混雑が予想されますので、津山市内でご近所の方はなるべく、乗り合わせや徒歩で移動をお願いします。」との要望がありました。また、津山文化センター近くでも様々なイベントもありますので併せてご案内してみますね。
江戸時代の武家屋敷だった旧田淵邸を活用した「津山城下町歴史館」が2017年4月27日に開館しました。
長屋門は修復し、傷みの激しい母屋を解体して、1147㎡の敷地にだんじり展示棟、ガイダンス棟が新たに建てられました。展示棟には、県重要文化財だんじり6基。ガイダンス棟にはだんじり1基と、旧田淵邸の模型や、大名行列図の複製などを展示し、パネルなどの資料を並べた。事業費は3棟合わせて約1億2000万円。(撮影2017年4月2日、5月3日、6月20日)