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新見御殿町まち歩き【2】

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新見藩の歴史
 このまちは江戸時代元禄10年(1697年)に初代新見藩主関長治侯によってつくられたまちです。新見藩は1万8千石です。元禄時代はすでにお城は造れない時代でしたので、御殿(官邸)を建て、そこで政務を執られました。このことによりこの地区を新見御殿町と言っています。
 関家と森家の本国は美濃です。両家は濃い姻戚関係にあり、共に織田信長に仕えておりました。天正10年、本能寺で織田信長に最後まで従って戦死した森蘭丸、坊丸、力丸の一番末の弟が千丸で、千丸だけが幼くて美濃に残っておりました。その後、千丸(森忠政)は関ヶ原の戦いで功を認められ、徳川幕府から津山藩18万6千石を賜りました。この森忠政侯が津山藩森家の藩祖です。その時、関家も津山へ移りました。津山藩森家の2代目のお殿様は関家の長男(長継)で、長継侯の子、長治侯は逆に関長政侯の養子となり、作州津山藩の中に1万8千石の領地をもらって大名となりました。森家5代目衆利侯が急死し、跡継ぎが無かったのでお家は断絶。森家は分かれて播州三日月城と播州赤穂城へ移らなければならなくなり、それに伴って関家も津山から新開地の新見へ移封されることになりました。元禄10年のことです。こうして新見藩が誕生したのです。
 その後、新見藩関家は明治まで9代続き、現在は第13代末裔の関勝氏は埼玉県におられます。

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江戸時代の札座・鉄問屋・造り酒屋
津国屋&内蔵(倉庫)
 津国屋内蔵は文化11年(1814年)の建物で、山田方谷(9歳)が丸川松隠の家塾で勉強をしていた時代です。 
 津国屋内蔵に当時津国屋で使われていたものや、一間半七社の神棚、酒蔵の鬼瓦、山田方谷の手紙等が展示してあります。

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津国屋 内蔵

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津国屋 内蔵


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太池邸
 近代新見地域の商業の中心地として栄えた中町界隈にあって、その中核的な商家の一つ。明治末期の建物で新見初の百貨店として呉服をはじめ色々な商品を扱っていました。現在は新見市が借り受け、交流拠点施設として利用させています。

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太池邸

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太池邸


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元大阪屋旅館 別館
 明治から昭和30年代まで料理旅館をしていた大阪屋旅館の別館で、昭和の初めの建築物。床柱の黒柿も今に残っています。当時の政財界人が多く訪れ、橋本龍伍氏(当時厚生大臣)もよく泊っていました。まさにその時代の勢いを感じます。

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元大阪屋旅館


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元料亭 松葉
 明治から昭和30年頃まで料亭として一世を風靡した。明治26年の建物で、津国屋の四軒長屋だった二軒分を明治末頃に華やかな料亭として改築しました。端唄・浩太・都都逸と粋な人の集まる料亭でもありました。玄関前の通り、三味線横丁(昔たぬき小路)を粋なお姉さんと旦那衆の歩く下駄の音が今でも聞こえてきそうな不思議な空間です。

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住宅下を流れる用水路

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元料亭 松葉

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三味線横丁                  カツマル醤油の金文字看板

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町中を流れる溝

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津国屋
(文:新見御殿町まち歩きガイドの会パンフレット「御殿町まち歩き」より)