取材記事内検索

取材記事内を検索ワード「水鉢」で検索した結果,77件の記事が見つかりました。

瓜生神社(瓜生原)

uryu3.jpg

瓜生神社(旧村上)
 由緒沿革 口碑によると、五霊宮は当地の人楢本才兵衛が京都八所の五霊社から祭神五柱の御分霊を迎えて勧請したという。その年月は不詳。応仁二年再建以来数度に亘って修理、葺替の後、天保八年に再建したのが現在の本殿である。もと、五霊大明神、油宮大明神と称したのを明治四年瓜生神社と改称し、明治六年村社に列した。大正十一年神饌弊帛料供進神社に指定せられた。(岡山県神社庁編『岡山県神社誌』より)通称名 五霊様(ゴレイサマ)

瓜生神社(瓜生原)の続きを読む

杉宮の八幡様(津山市杉宮)

000honden.jpg

 ここは、旧勝北町の下村地区です。西加茂神社をすこし北に行ったところにあります。ご近所の土井さんにお聞きすると「旧勝加茂村の時は下村の八幡様と呼んでいました。詳しい事は解りませんが下村の人達で現在までお祀りしてきました。」と教えてくださいました。(2012年12月14日撮影)

杉宮の八幡様(津山市杉宮)の続きを読む

多禰神社(津山市種)

2017-10-09tane4.jpg

多禰神社(旧村社)、主祭神:天児屋根命、例祭:十月十日、境内地:四二二坪、主要建物:本殿・拝殿・社務所
 由緒沿革 本神社創建年月由緒等不詳。もと春日神社、八幡神社、荒神社が各地に鎮座していたのを、元禄十二年十二月 村の中央の宮山の地に合祀して、多禰神社と改称した。
(文:『岡山県神社誌』より)(2017年10月9日撮影)

多禰神社(津山市種)の続きを読む

勅使山 圓福寺(高野)

oshiire-12.jpg

津山市押入れにある真言宗醍醐派 勅使山 圓福寺(2017年6月210日取材)
勅使遺跡
 国道53号線の高野交差点付近にある遺跡です。交差点付近にある勅使山圓福寺の小堂付附近の耕作地附近から瓦などが見つかっており、寺院跡と考えられています。平成21年と平成27年に一部発掘調査は行われていますが、その際には遺跡と遺物は発見されていません。(文:『第112回文化めぐりの案内』より)

勅使山 圓福寺(高野)の続きを読む

2017年 清眼寺のぼたん祭りの様子です。

botan4.jpg

2017年4月29日にボタン寺で有名な清眼寺のぼたん祭り(ボタン100種300株)がありに行って来ました。ボタン祭りの期間は、4月25日(火) 10:00 〜 5月3日(水) 16:00でした。また、期間中は清眼寺本堂にて寺宝展や書道展がありました。30日には、筆供養、オカリナの演奏会などもあったそうです。(2014年のボタン祭りの様子です。

2017年 清眼寺のぼたん祭りの様子です。の続きを読む

御先神社(田町)

misaki4.jpg

城下町津山に残る多くの小社の中で、風格ある社建築を持つこの御先明神も古い歴史を持っている。
森家の家臣吉田作左衛門が、二宮高野神社境内にある御先神社を寛永年間にこの地に勧請した。
吉田邸は刃傷沙汰の伝承のある侍屋敷。その話に絡んで稲荷神の「うかのみたま」のお使いである狐を屋敷神として杷ったもの。現在の社は明治時代の建造である。
所在:津山市田町 祭神:お稲荷様=倉稲魂命(うかのみたまのみこと) 創建:寛永年閣(1624~1643) 以降
祭礼:夏祭7/28 秋祭10/28 初午祭2/28(文:津山城下町まちなかお社巡り 津山まちづくり本舗)(2016年11月30日撮影)

御先神社(田町)の続きを読む

田熊八幡の回り舞台は国の重要民俗文化財

tanokuma14_21.jpg

 今年(2016年)も津山地域のお祭りも最終になり、11月3日は阿波八幡神社の花祭り(岡山県の無形民俗文化財)、新野まつり(岡山県重要無形民俗文化財)、中山神社の秋祭り(本殿は国指定重要文化財)、田熊八幡宮の秋祭り回り舞台が国の重要民俗文化財)とあります。
 一昨年(2014年1月5日)に取材した田熊八幡宮を再度組んでみました。また、2015年11月1日(日)には、国指定重要有形民俗文化財「田熊回り舞台」の国指定40周年を記念した芸能・文化発表会が開催されました。(※2011年の特集)

田熊八幡の回り舞台は国の重要民俗文化財の続きを読む

森神社(西横山)

morijnja3.jpg

 由緒 口碑によると、戦国時代に此の地の領主の荒尾志摩守が京都の伏見から、稲荷神社の御分霊を勧請したものと伝えている。勧請年代は不詳で、もと町内字朝伏に鎮座していたのを、寛文四年に現在地に遷座した。明治四十五年一月境外末社の国常立神社を合祀した。(文:岡山県神社庁HPより)
 作陽誌には「守神社在二横山村一 氏神也祭祀端午重陽仲冬十二日、境内東西四十八間、南北十九間、末社有二荒神」とあります。村社(2016年3月6日撮影)

森神社(西横山)の続きを読む

諏訪神社(勝田郡勝央町河原)

suwa28.jpg

当社の創建年月は不詳であるが、河原鏡山に古吉野庄の総社として創建されたと伝われている。
 天平5年(733)9月20日庄内の住民が集合して大祈祷を行って以来、この日を大祭日定めたとされ、当日は縫い物、畑仕事を禁じられた。
 長久3年(1042)古吉野庄の氏子の総意により、信州諏訪大社の御分霊(建御名方命)を勧請し、合祀した。
 安元2年(1176)広戸風の大烈風で本社が大破したので、移転地を信州諏訪に似たところとして、風害の少ない現在地に再建した。(御祭神 建御名方命 速秋津姫神 素盞嗚命 譽田別命 大國主命
倭建命 大己貴命)
 神社の境内にある神木(びゃくしん・いぶき)は本社移転時に諏訪豊前守藤原安盛宮司が手植えされたと伝えられ、樹齢800年の神秘な樹姿を見せる。また、十郎、徳丸(村人)の蛮勇で河原田圃開発の祈祷に使った伝承を持つ「雨乞い石」がある。(文:岡山県神社庁HPより)

諏訪神社(勝田郡勝央町河原)の続きを読む

金毘羅神社(大手町)

o3.jpg

 当初、森家の重臣赤座主殿の屋敷神として城内にあったが、明治5年(1872)2月に、城内から京町に移され、現在は町内神として杷られている。
 河川や海上安全を祈念する金毘羅神社は、吉井川の高瀬舟運行関係に従事した人々の信仰を集め、特に「金」の文字が付くことから商売繁盛の神としても信仰されている。
2015年4月14日取材

金毘羅神社(大手町)の続きを読む