第39回 津山納涼ごんごまつり in 吉井川
2017年8月6日(日)「第39回 津山納涼ごんごまつり in 吉井川」無事に終わりました。
5日は河川敷に居ると暑くてたまりませんでした。また、6日は台風5号の影響で大花火が上がるかと心配でしたが、風は少し吹いたけれど無事に開催され大いに盛り上がりました。アルネ東広場、ソシオ一番街にて、和っしょい!津山2017が開催され大いに商店街も盛り上がったそうです。皆様、お疲れ様でした。
2017年8月6日(日)「第39回 津山納涼ごんごまつり in 吉井川」無事に終わりました。
5日は河川敷に居ると暑くてたまりませんでした。また、6日は台風5号の影響で大花火が上がるかと心配でしたが、風は少し吹いたけれど無事に開催され大いに盛り上がりました。アルネ東広場、ソシオ一番街にて、和っしょい!津山2017が開催され大いに商店街も盛り上がったそうです。皆様、お疲れ様でした。
2017年8月6日(日)「第39回 津山納涼ごんごまつり in 吉井川」大花火大会が行われました。各地で被害をもたらしている台風5号の影響が心配されましたが、無事に大花火大会が終了しました。いつもは寂しい感じのする商店街も、大勢の人をかき分けて先に進むくらいの賑やかさとなりました。また、河川敷も今津屋橋・城見橋の上も花火を見ようと大勢の人で身動きが取れないくらいでした。今年は風が出て涼しくて気持ちの良い大花火大会でした。お世話してくださった皆様ご苦労様でした。私たちを楽しませてくれた素晴らしい花火、そして、素晴らしい第39回 津山納涼ごんごまつり in 吉井川。ありがとうございました。https://youtu.be/FhvCk3QYs4Y
銀天街や元魚町でまちづくりに関わってきた出口剛三さんからお話をお聞きすると、「なぜ早くから県北に商店街ができたのか不思議だったが、市(いち)としては明治初期の頃からあったようです。その当時は天然痘が流行っていて世の中が暗くなっている時に、少しでも町を明るくしようと、富クジを始めた。それが大当たりしたのが誓文払いのはしりとなった。平成4年頃の商店街には、それぞれの顔があり、元魚町商店街は、古本を集めてフリーマーケット(現在のフリマのはしり)をした。また、一番街はお化け屋敷、銀天街は生けすでうなぎを釣ってもらったり、カブトムシを展示したり、各商店街がそれぞれに抽選会をやった。当時のイベントで今でも残っているのは、幼稚園の子どもに協力してもらった一番街の七夕まつりです。」と教えてくださいました。(協同組合元魚町商店街の設立は、昭和38年7月22日です。)(平成29年7月現在の様子です。)(アルネが出来る前の銀天街の様子)
2017年7月22日の午後1時過ぎの様子です。蒸し風呂に入っているような暑さの中を、おもてなしブースでは、津山の水の無料配布や、地元の肉料理の販売をされました。暑い中の作業お疲れ様でした。また、B'zのグッズをお求めの皆さんも炎天下の中長時間お疲れ様でした。新地通商店街さんや元魚町商店街さんは、少し戸惑いながらも初めての試みを頑張っていらっしゃいました。
2017年7月21日の津山文化センターです。午後2時過ぎには既にB'zのトラックは到着していました。初めて見るトラックに興奮する子ども連れのお父さんやファンの方です。この日は良い天気に恵まれ、時折吹く風が涼しく感じられました。それに津山城の石垣も緑の木々と美しくコラボしています。また、会場となる文化センターは、静寂な中にも美しい姿でまわりの景色と一体となって公演を待ちかねています。
元魚町「お祭り麒麟館」の展示風景 グリーンライフ津山元魚町の1階(地域交流スペース)に元魚町「お祭り麒麟館」がある。この施設は協同組合 津山銀天街が管理、津山まちづくり倶楽部、協同組合 元魚町商店街、元魚町町内会、徳守だんじり若頭会が展示協力をしている。(文:元魚町『お祭り麒麟館』案内より)(撮影:2017年6月4日)
2017年7月22日のB'z津山公演のおもてなし会場のご案内です。
「公演当日は、混雑が予想されますので、津山市内でご近所の方はなるべく、乗り合わせや徒歩で移動をお願いします。」との要望がありました。また、津山文化センター近くでも様々なイベントもありますので併せてご案内してみますね。
移り変わる元魚町商店街の現在です。(2016年8月9日・2017年5月19日・6月6日・7月13日撮影)
元魚町の町名の由来は、元和八年(1622)から、寛永三年(1626)にかけて、城下町の職業別による町の形成政策により魚屋が軒を連ね、魚町として成立した。
しかし、大名行列が、頻繁に通過する出雲街道沿いに位置したことから、行列に生臭い匂いが漂うことを嫌われ、魚町は南へ移転され、もとの場所が、元魚町、移転先が新魚町となったといわれる。(森家時代の資料による)(文:元魚町『お祭り麒麟館』パンフレットより)
衆楽園 遠くに津山城天守 昭和11年撮影
1873年創業の江見写真館には三代目江見正(1890-1976)撮影の地域の歴史を記録するガラス乾板が多数保存されています。(写真、文:江見写真館提供)※写真は「津山瓦版」のみ使用可です。
衆楽園は、江戸時代初期に津山藩主・森家によって築造された回遊式の庭園です。元禄11年(1698)に松平家が藩主となって以後幕末までは、家臣や他藩・他家からの使者を謁見するための「御対面所」、または藩主の隠居所の庭園として使われ、明治3年(1870)に「衆楽園」として命名されました。 衆楽園は津山城の北側(津山市山北)に位置しており、庭園は南北に長い敷地で、大半を池が占めています。別邸跡の古い建物群は現存せず、それらを再現した建物(余芳閣・迎賓館・風月軒ほか)が建っています。(津山城より)
2017年6月4日(日)11:00~15:00に本町三丁目商店街に於いて「サンビオ-マルシェ」が開催されました。ー大量生産より、心を込めた少量生産の時代へー。フランスでは健康なイメージを表す言葉として定着したBIO(ビオ)、本町3丁目商店街は「BIO タウン」として生まれ変わろうとしているそうです。今回は、身体に優しい無農薬野菜やオーガニック食品を中心にしたイベント「サン BIO MARCHE2」です。主催は協同組合本町3丁目サンBIO-MARCHE楽しむ会です。