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2017年8月 新しくなった津山駅北口

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 2017年4月1日、津山駅北口広場が新しくなり、公共交通の乗り換えも便利になりました。まだ、若干周辺の一部では工事がなされていますが、車での送迎も便利になりました。箕作阮甫像も、SLのC11-80号も移設が完了しました。まだ、これから53号線の道幅も広くなり、にぎわい交流館も出来るらしく工事が急ピッチで進んでいます。(2017年8月11日撮影)

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嘗ての駅前商店街 (2008年3月11日の津山駅前の様子です。)       

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綺麗になって南小学校から移設されたC11-80(C11-80機関車の概要2011年7月1日取材

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南小学校から移設されたC11-80

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幕末の対外交渉に活躍 箕作阮甫(みつくり げんぽ) 寛政十一年(1799)~文久三年(1863) MITSUKURI GENPO
 この像は、西洋の学問を志した阮甫が、文政六年、藩主に随行して初めて江戸へ旅立とうとする、立志の姿である。
 幕末を代表する蘭学者箕作阮甫は、津山藩医箕作貞固の三男として西新町に生まれた。文政二年(1819)津山藩医となる。
文政六年(1823)藩主の参勤交代に従い江戸に出て、蘭学の大家であった同藩医宇田川玄真に入門。
天保十年(1839)から、幕末天文方で外国文書の翻訳に従事する。
嘉永六年(1853)、ペリー来航時には、幕命によりアメリカ合衆国大統領の国書を江戸城に登って翻訳した。また同年来航したロシア使節プチャーチンとの応接のため長崎に赴くとともに、翌年の伊豆下田での交渉にもたずさわっている。
 安政三年(1856)、幕府は蕃書調所<東京大学の前身>を創設、阮甫は首席教授職<今の総長挌>に任命され、その基礎を確立する。また、日本最初の医学雑誌「泰西名医彙講」をはじめ「外科必読」・「産科簡明」、語学では「和蘭文典」・「改正増補蛮語箋」、西洋地誌では「八紘通誌」・「地球説略」など、その生涯で99部160余冊の著訳書を残した。
 阮甫の子孫からは箕作省吾、箕作秋坪、箕作麟祥、呉文聡、呉秀三、箕作奎吾、菊池大麓、箕作佳吉、箕作元八など、幕末から明治期の日本近代化を支えたそうそうたる学者が輩出している。(文:説明板より)(箕作家の墓所

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バス乗り場

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津山駅観光案内所近くに設置されたB'zの看板    国道53号線沿いに設置された西東三鬼の碑

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津山駅観光案内所         切符売り場           案内板

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津山駅の玄関前

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玄関を背に左右

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玄関を前に左右

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津山駅の玄関

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駅構内にはコンビニもあります。

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待合室             切符売り場

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構内の天井絵は岡山県立津山東高等学校 J.E Y.O T.K H.M E.M S.M A.Y M.Yさん制作です。

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地下通路には日本全国のポスターがずらり。

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4番ホーム(岡山行)               津山線の列車内

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懐かしい昭和の雰囲気です。