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取材記事内を検索ワード「津山市」で検索した結果,1551件の記事が見つかりました。

勝負山(津山市山方字木梨地内)

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 山頂に径12m、高さ0.5m程の古墳状の高まりが認められる。その上に勝負山の碑(土台石があるが、碑の棹が見当らない)がある。墳丘の西側には周溝を持つようである。
 永禄9年(1567)尼子氏滅亡の後、利元城主福田盛昌、毛利(小早川隆景)に属し、その子勝昌、桝形城をあずかりし天正7年4月、宇喜多直家は、その将・荒神山城主花房職秀をして之を攻む。利元城主福田盛昌は援兵を送らんとするも、職秀の兵これを山方勝負山に打たんとし、激戦の後、福田勢敗る。以後勝負山と称するはこの故なり。なお、敗れた福田氏は勝部に土着したと言われている。『苫田郡誌、久米郡誌』(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年3月20日・4月8日撮影)

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坂元稲荷神社 (津山市山方字古観音寺地内)

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 いつの頃からかは判然としないが、五穀の神として倉稲魂神を祀ったもので、また商売の神(正一位)として神の使役に狐を従えている。
 毎年2月初午の日に参詣する稲荷詣でがあり、絵馬を献ずるなど子ども連れで毎戸に銭を乞い歩く萬年講などがあったと聞く。現在ではこれらの行事もなくなったが地域や横野方面からの信者など、お参りが絶えることなく続いている。
 なお、平成7年県道拡幅工事のため現在地に移動されたものである。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年3月20日・4月12日撮影)

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地神様(才ノ神) (津山市山方字才の元地内)

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 村境に祀られた往還の人々の疫病災難をお守りする「厄除けの神」である。地神様と樹齢百余年の「エノキ」(高さ3m、径30cm)があり、明治28年の文字が読みとれる。
 その後昭和58年道路拡張工事により、御神木の「エノキ」と共にこの地へ移設されたもので「幸ノ神」とも言われ、古くから子どもの宮参りやお籠もりなど参詣者多数あったと伝えられる。
 なお、平成5年度「津山ふるさと景観賞」受賞に輝き田園風景の中にも歴史を感じさせる名所になっている。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年3月20日撮影)

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美土路家の屋敷神・構屋敷跡(一宮)

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 津山市街から北に向かって行くと、中山神社の近くにある難波酒造手前の一角にある。本光寺住職にお聞きすると、元々は美土路家の屋敷神だったそうです。昔美土路家はとても広大な土地を所有していたそうで、ここも屋敷の一角だったそうです。(2016年2月3日・2017年2月8日・6月13日撮影)
 「美作一宮 郷土の歩み」に『城所屋敷』の記述がある。美作の守護であった赤松氏の重臣城所備後が居を構えていたとのこと。後に中山神社に仕える泉氏、その後を美土路氏が居住した。古老によれば「一町四方の土塁と堀に囲まれていた」と。里人たちはその一画を「構屋敷」と呼んだ。
 現在残る痕跡としては、現「難波酒造」敷地内に残る東西15m、高さ3m近い土塁の一部があり、最近まで公会堂東にあった防火用水プールもその堀の跡であったようだ。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)

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東一宮のさくら並木が綺麗です。

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2017年4月5日に東一宮下河原公園付近のさくら並木を通ってみました。毎年、津山市内では一番早くさくらが開花する通りだと思います。満開の頃は、何とも言えない美しい光景を見せてくれます。
2015年に撮った満開の頃の様子です。

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合併記念碑(下高倉東)

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合併記念碑(下高倉東有重)
 高倉小学校北の道から一段上がった高倉村役場跡の大銀杏の下に、「合併記念碑」が威容を誇っている。高倉村が近隣9か村と津山市に合併した昭和29年(1954)7月から5年を経過した昭和34年(1959)7月に、難波保外16人が発起人となり、合併5周年を記念して建てたと記されている。
合併記念碑 碑文
 和銅弐年備前六郡を割いて美作国を置く 当時より高倉川の流域及び大篠山東西の地域を含めて高倉郷或いは高倉の庄と呼び郡の中部を東西に走る街道に沿う地であった。後久しく封建制度の下に小村が独立して来たが明治22年上高倉下高倉東下高倉西の三村を併せて高倉村となし自治制を布く昭和29年周辺9ヶ村と共に津山市に合併して今日に至る。この間遠くは近平用水路の開鑿近くは土地改良事業など共に高倉の躍進を約束する輝かしい事蹟として特記すべきものがある。茲に合併五周年を記念し有志相謀り旧高倉村役場跡に碑を建て幾多先人の功を偲ぶ資料として更に後人の奮起を期待する次第である。
昭和34年7月1日 難波 保 撰

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愛宕神社(東一宮)

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愛宕神社 津山市東一宮
 祭神は「いざなみのみこと」。
かつてはこの集落の鎮護と防火の神として敬われて、年1回の春の作道作りのあと、神前で簡単な祭事と集会が行われていた。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年2月19日撮影)

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津山やよいライオンズクラブの「世界ライオンズ100周年記念奉仕」

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2017年3月29日に吉井川河川敷に於いて、津山やよいライオンズクラブが「ライオンズクラブ100周年記念」として、クラブ会員20名がお揃いウインドブレーカーを着用し、火ばさみと分別ゴミ袋を手に今津屋橋北詰から新大橋までの国道53号線の両サイドの歩道と吉井川河川敷(北側)で清掃活動を実施されました。その後、100周年記念として、津山市の観光に役立ててくださいと津山市観光協会・ボランティアガイドにポータブルハンズフリーマイク3台を贈呈されました。この日は手が凍えそうなとても寒い朝でしたが心ほっこり清々しかったです。

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大森神社(東一宮)

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大森神社(牛頭天王) 津山市東一宮
 字天王にある「大森神社」は、牛頭天王をお祀りしている。牛頭天王とは、祇園精舎の守護神であって薬師如来の化身と称される。また祇園とは、孤独長者の買う設備のある壮厳を極めたところをいい、地獄の獄卒の一つで体は人の如く、頭は牛の如きものをいう。
 この神社に祈願すれば、疫病退散の効能が著しいと言われ、一宮の市盛んな時には、参詣者特に多くご利益をいただいたという。当時は境内も広く木立も多く立派な神社であったが時代の流れに押され、ささやかな姿を止めている。なお、現在も近隣の人々により年2回祭事が執り行われている。v(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年2月19日撮影)

百々温泉めぐみ荘のとびっきり可愛いお雛様

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2017年3月25日、百々温泉めぐみ荘へお雛様を拝見しに行って来ました。なんとなんと可愛いお雛様だこと。このお雛様は、加茂保育園児が作ったそうで素材は身の回りにある物ばかりでペットボトルやストローに水引等々でした。とびっきり可愛いお雛様に心ほっこりでした。また、百々温泉めぐみ荘のラウンジは広々としているので、コーヒーを頂いたりしてゆっくりして来ました。

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