津山の私設美術館・その他のおススメ(お寺・博物館・資料館)
美術の秋を迎えましたが、津山にはまだまだ素晴らしい美術があるのを私たちは案外知らないのかもしれませんね。一般に公開されているものは数少ないのですが、私設美術館など今まで取材したものを少しまとめておりますのでご覧くださいね。それから、資料館・近隣の美術館なども併せてご紹介。(営業日時や場所は各HPなどでご確認ください。)
美術の秋を迎えましたが、津山にはまだまだ素晴らしい美術があるのを私たちは案外知らないのかもしれませんね。一般に公開されているものは数少ないのですが、私設美術館など今まで取材したものを少しまとめておりますのでご覧くださいね。それから、資料館・近隣の美術館なども併せてご紹介。(営業日時や場所は各HPなどでご確認ください。)
文政8年(1825)、呰部教論所の学監 菊池文理の二男として阿賀郡下呰部村(現真庭市下呰部)に生まれる。江戸に出て箕作阮甫に蘭学を学び、後にその養子となった。
文 久元年(1861)、幕命により通商条約実施延期交渉のため、欧州六か国を訪問。また慶応2年(1866)には、北方領土境界交渉のためロシアを訪問する など、幕末の外交交渉に活躍した。維新後、英学塾「三叉学舎」を開設、原敬・東郷平八郎・平沼淑郎ら多くの門人を育成するとともに、森有礼・津田真道・福 沢諭吉らと明六社を興し、明治初期の代表的知識人として知られた。19年(1886)東京で没す。(資料提供:洋学資料館)
箕作阮甫と東海道
1853(嘉永6)年、ロシアから開国交渉の使節としてプチャーチンが来航し、箕作阮甫はその対応御用を命じられました。長崎でロシア使節との外交交渉を終えた阮甫は、山陽道、東海道を経て江戸へ戻ります。その途中、小倉でペリーの再来を知らされ、また、広島の沼田では急ぎ戻ってくるよう指示を受け津山への墓参も中止して、先を急ぎました。
阮甫が足早に通り過ぎた東海道は江戸時代の主要街道で、多くの浮世絵師がその宿場を描いています。阮甫の日記「西征紀行」の記述とともに各宿場の様子をご覧ください。
2014年1月14日の沼弥生住居址群の様子です。
津山市沼、津山盆地が見渡せる丘の上にある弥生時代の集落跡。竪穴式住居・高床式倉庫・作業場があったとされ、現在ではそのうち、竪穴式住居1棟と高床式倉庫1棟が復元されています。隣接の津山弥生の里文化財センター(入場無料)で発掘成果などを見学できます。
津山市沼の自動車学校すぐ南にある仲良し町内会のイルミネーションです。
「吉井邸」(津山市沼331)の恒例の2013年版イルミネーションです。
※2009年の様子はこちらから
平成25年10月18日(金)19日(土)20日(日)の3日間(津山文化センター展示ホール)
岡山県北、美作地域にゆかりのある工芸系作家さん30名以上が集まり、「作った人の顔と名前が分かる物に囲まれたこころ豊かなくらし」をテーマに、この地域にどんな作家さんがいて、どういうものを作っているのか皆様に知って頂こうというイベントでした。陶芸、木工、絵画、和紙、彫刻、生花、漆芸、ガラスなど。また参加作家による器を使用したカフェもオープンして賑やかでした。
津山洋学資料館は平成22年3月に新館がオープンし、その前庭に宇田川玄随・宇田川玄真・宇田川 榕菴・箕作阮甫・箕作秋平・津田真道の5人の胸像が置かれています。いつも拝見するのですが、はて?この方たちの年代と何時、何処で、何をしたかがごちゃまぜとなってしまっているので、各人のプレートから少しまとめてみました。
津山洋学資料館(つやまようがくしりょうかん)は、岡山県津山市の城東町並み保存地区にある博物館です。建物は「津山洋学五峰(宇田川玄真・箕作阮甫・津田真道・宇田川玄随・宇田川榕菴)」をモチーフに五角形を基本として設計されたとされています。
2013年4月25日取材
柳野神大神ノ勘請セランタル年月詳ナラズト雖モ和名抄ニ美作七郡六十餘郷トアリ是レ地名ノ書物ニ記サレタル始メナリトス此ノ地ノ地主ノ神ニ野神大神アリ 地名ヲ野神谷ト云ヒ初メシモ其ノ頃ノコトナリ 古老ノ口碑ニ依レバ當社ハ昔ヨリ社地宏壮ニシテ神威尤モ偉大ナリシガ永禄ノ末宇喜多黄門美作國内ノ社地ヲ没 収セシコトアリシ時
主祭神 稚日?尊 天宇受売命 倭姫命
由緒沿革 祟神天皇の御代に勧請したという。本神社をイツキと称するのは、織部、勝部、祝部に縁の深い弓月の君、即ち融通王をその部族が奉祀したものであるからともいう。国司が総社を建立して以来、総社に神幸せられて奉幣に預かったという。森、松平侯の別邸が指呼の間にあって、崇敬も厚く、祭祀日に奉納があった。