沼の弥生住居跡群です。

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沼住居跡のさくら、 メチャ綺麗なもみじ 弥生の里文化財センター
津山市沼、津山盆地が見渡せる丘の上にある弥生時代の集落跡。竪穴式住居・高床式倉庫・作業場があったとされ、現在ではそのうち、竪穴式住居1棟と高床式倉庫1棟が復元されています。隣接の津山弥生の里文化財センター(入場無料)で発掘成果などを見学できます。(2012年7月31日)


沼弥生住居址群《昭和31年7月4日津山市指定記念物(史跡)》
 昭和27年、最初の発掘調査が行われました。調査は、その後数次に亘って行われ、円形・隅丸形などの竪穴式住居址5棟、長方形竪穴住居状遺構1棟、高床倉庫址3棟、そして住居址群と倉庫址群を分断する溝状遺構などが検出されました。このうち最大のA竪穴住居址は、火災により廃棄されたもので建築部材が炭化して残っていました。
出土遺物には、中・後期の弥生式土器片、稲の穂を刈り取るための石包丁、手斧(ちょうな)とされる扁平片刃石斧、たたき石などがあります。
沼弥生住居址群復元住居(津山市沼597-1)文:「津山市の文化財」より抜粋

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なだらかな丘の上にあります。             駐車場の案内板
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頂上へ続く階段                     見晴らしの良いところです。
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復元された竪穴式住居跡。
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住居跡
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復元住居について
 弥生時代後期の住居址には竪穴の平面が円形で、数本の柱穴が同心円上に配列されたものがあり、沼遺跡の竪穴住居もこの形式に属する。この平面の住居は登呂遺跡に代表される隅丸形四本柱平面の上部構造はなじまない。平面が円形である以上、垂木も放射線状に配置されるのが合理的である。垂木を放射線状に配列するためには、最初3本の垂木の上部を縛って三角形を造り、頂上から少し下がった位置に内外から円形にした藤蔓を縛りつけ、間に同じ本数の垂木を差し込めばよい。3本柱の頂を縛った縄を切れば、垂木は少し下がった位置で安定する。このようにして出来た垂木面は回転双曲線面を構成し、風や地震に対してたいへん強い。この住居は、そのような考え方にたって復元したものであり、外観は家屋文鏡に描かれた竪穴住居によく似ている。
(解説 津山市文化財保護委員・広島大学名誉教授 鈴木 充)(文:案内板より)
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橋が架けられています。ここを渡って行くと高床式倉庫があります。
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高床倉庫です。
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高床式倉庫の案内板と住居跡群と弥生里文化財センターから見た神楽尾城跡
高床倉庫
 西地区の住居址群からやや離れて、三棟の高床倉庫址が検出されている。一号倉庫址は、桁行二間(3.8m)、梁間二間(3.2m)の八本柱。二号及び三号倉庫址は、ともに一間×一間の四本柱である。
 このうち、一号倉庫址の柱配置をもとに、銅鐸(どうたく)に描かれた住居の絵画などを参照しながら上部構造を推定復元したものがこの高床倉庫である。棟持柱(むねもちばしら)をもつ点に特色がある。柱や桁、梁材には檜などを使用している。
 これらの倉庫は、穂摘みして収穫した稲穂をそのまま蓄えておくためのもので、集団全体によって共同使用されていたと推定される。
(文:案内板より)