2012年4月2日(月)今日は天気も良く晴れ晴れとした日になりましたが、まほらさんのハウスの中はそれ以上にぽかぽか陽気で、子供達は大きな声でハウスの中を走りまわり、時々お母さんに叱られながらも真っ赤に熟れたイチゴを美味しそうに食べていましたよ。イチゴ狩りが一段したと思ったら、今度は昼食が始まり、辺りには美味しそうなお肉を焼く匂いが漂っていました!イチゴをおなか一杯食べた後ですが、みなさん食が進んでいましたよ。
さくらまつりのオープニング(2012年4月1日)
時折小雨がぱらついて、肌寒い日になりましたが、みんな元気よく津山情緒を踊ったり、鶴山さくら太鼓が威勢の酔いパフォーマンス。また、もち投げもありました。残念ながらさくらの花が咲くのはもう少し先です。
嘉吉元年(1441)、山名教清が美作国の守護に任ぜられた際に築城されたものと伝えられています。その後、天正17年(1589)8月、野火によって焼け廃城になるまでの148年間、山名、赤松、浦上、尼子、宇喜多、毛利の各氏が、美作国の制覇をかけて激しい攻防を繰り広げられた舞台ともなりました。
城は岩屋山の山頂に本丸を置き、本丸を中心に三方向に曲輪を配した複雑な梯郭式の山城で、本丸南に馬場、西南には石橋上や椿ヶ峪砦を設け、更に西には小分城を築き防備を固めていました。本丸東には二の丸を置き、その南には三の丸を配しています。東の谷の固めとしては、12本の竪堀を設けています。大手南斜面に見られる大小20箇所以上の防備のための郭は、美作地方では他に類をみないものです。他に井戸、慈悲門寺跡なども残っています。(2011.5.4)津山の文化財より
▲津山市川崎にある兼田橋近くのさくらが菜の花と共に綺麗に咲いています。(2011.4.30)
▲2011年4月22日の美作国嵯峨山城跡は、つつじが満開です。(2011年3月に登ったときの様子)
久米の佐良山については作陽誌に【嵯峨山城跡とは】
「佐良山付古城 在中島村倭歌の詠ずるところの久米の佐良山はこれなり。一名嵯峨山と名づく。或人は言う、篠山と嵯峨山とは相去ること遠からず。何れがその佐良山たるかを詳しくせず。しかも篠山は佐良山村に在り、嵯峨山は中島村在る。佐良山に在るを以って真となすべきと言う。この説は是ならず。古は中島村、古城村、暮田村、佐良村は一村なり。総べてこれを佐良村と言う。近来邑里分割し山川の隋判は其原を詳しくせず、これに疑有り。今山上を縦目するに、風景は嵯峨山を勝となす。真の名山はただこの山なるかと記されている。
なお篠山をもってこれに擬し、或いは神南備山をもって佐良山に擬するなど諸説に分かれているが、この嵯峨山には文化13年(1816年)秋8月に小島広厚誌、太田貞幹書両氏により佐良山の碑が建立されている。この碑文によると、一応この山をもって佐良山としている。
▲津山さくらまつりのイベントに出店しました。2011年4月10日(日)
先週とは打って変わって素晴らしい天気になり会場も大いに賑わいました。また、この日デビューした可愛い「津山ご当地アイドル」さんと記念撮影したメンバーの顔がにこやか。これから津山の良いところを全国へどんどんアピールしてくださいね!
▲篠山城跡(2011.4.10)
早春の佐良山の東面に位置する山々は、可憐な白い花弁を一杯に広げた純白の「辛夷」の花で彩られます。その中でも一番美しい群生を見せる場所として、「篠山」があげられます。
佐良山には「佐良山三座」と称される山々があります。「嵯峨山」「神南備山」そしてこの「篠山」です。古歌に「美作や久米のさら山さらさらに わが名は立てじ萬代までに」と謡われた「久米のさら山」を巡って、諸説が飛び交いいまだ決着を見ていない佐良山を取り巻く秀峰をいつしか「佐良山三座」と呼ぶようになりました。
ちなみに嵯峨山には、これぞ「久米のさら山」であるという「佐良山碑」(市文化財)が津山藩により1816年に建立されていますが、それはそれとして佐良山の人たちはこの美しい山々をこだわりなく誇りに思っていると思われます。
▲さくらの花とともに菜の花が可愛く咲いていました。(2011.4.10)