菖蒲(あやめ)を愛(め)でる会
友人から誘いを受け、2025年5月4日津山市神戸にある、後醍醐天皇復活の宮 作楽神社で「菖蒲(あやめ)を愛(め)でる会」があり出かけてきました。
菖蒲の咲くころ何度か来させていただいていますが、今年の菖蒲は何とも言えない綺麗な色で思わず引き込まれていくようでした。
4日の境内では沢山の方々が来られていて賑やかでした。また、詩吟、琴の演奏、謡曲などがあり、気持ちのいい青空の下で琴の演奏を聴いたり、散策したりしてきました。海外の方の姿も見かけましたよ。
友人から誘いを受け、2025年5月4日津山市神戸にある、後醍醐天皇復活の宮 作楽神社で「菖蒲(あやめ)を愛(め)でる会」があり出かけてきました。
菖蒲の咲くころ何度か来させていただいていますが、今年の菖蒲は何とも言えない綺麗な色で思わず引き込まれていくようでした。
4日の境内では沢山の方々が来られていて賑やかでした。また、詩吟、琴の演奏、謡曲などがあり、気持ちのいい青空の下で琴の演奏を聴いたり、散策したりしてきました。海外の方の姿も見かけましたよ。
2015年12月6日(日)津山郷土博物館友の会 第107回 文化財めぐり「森長継の生母 渓花院ゆかりの史跡探訪」があり、本源寺(森家墓所)を拝見してきました。
本源寺(森家墓所)
本源寺の由緒:山号は東海山、臨済宗東海派。元は足利尊氏が創建した神戸村の萬松山安国寺。森忠政の美作入国時に小田中に移転。慶長12年(1607)忠政夫人の於岩が没すると西今町の北方に埋葬され、ここへ再び安国寺を移転し龍雲寺と改称、森家から200石の寄進を受けて菩提所となり、元和年間に山号が東海と改められた。寛永11年(1634)に京都で急逝した忠政は大徳寺三玄院に葬られたが、津山の龍雲寺にも供養墓が建立された。天和3年(1683)忠政の50回忌に当たり、法名にちなみ本源寺と改称。(矢吹正則『津山誌』参照)
2014年3月17日~24日まで、とっても綺麗な立石家の梅の花を楽しみました。
毎年、梅の花が散ってから気が付き今年こそはと気にしていたら綺麗な梅の花に出会えました。この立石岐さんはくらしを良くする為には、政治を変え、人民の国会を開くしかない」と国会開設請願の署名運動をしたり、衆議院議員を三期務めた津山の人です。(前回の取材はこちら)(立石岐ゆかりの津山協会)