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津山城(鶴山公園)の石たちの表情が面白い。

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津山城跡の石がアメーバ―のようで模様が面白いね!(津山城跡の過去取材)2014.11.21etc

国指定になっている津山城(鶴山公園)は石垣に囲まれていて、その石垣がカッコいい城跡なんです。
また、この石達の一つ一つの表情を見ていると可愛いとさえ思えてきました。森忠政が津山盆地のほぼ中央の鶴山に築いた平山城です。


 自然地形を巧みにいかしながら、土木工事によってさらに要害堅固な城としました。鶴山の最高所に平地を広く取って本丸とし、これを取り囲むような形で山腹 に二の丸・三の丸を階段状に廻らせ、山の大半を石垣で覆い、南を大手(表)、北を搦手(裏)としました。南・西・北の山麓(内山下)は総曲輪として、その 外周を土塁・濠で固め、東側は直下を流れる宮川及び天然の断崖をそのまま防御線に取り込んでいます。さらには、南の吉井川とその支流である西の藺田川(い だがわ)を防備上の最前線として、その内側に城下町の主要部を形成しています。(文:津山城百聞録より

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津山洋学資料館秋季企画展 解剖図の世界-江戸から現代(いま)へ-

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 2015年は、京都で山脇東洋が日本最初の人体解剖を行ってから260周年にあたります。この解剖の記録として『蔵志』が出版され、それまで信じられてきた「五臓六腑」図が否定されました。当時の医師たちは人体の内部を自分の目で確かめるため、各 地で解剖を行いました。『解体新書』翻訳のきっかけとなった、江戸小塚原の腑分けもその一環です。蘭学の発展に大きな役割を果たした解剖図、そして現代の 解剖図-メディカルイラストレーション-を一堂に展示することにより、江戸時代から現代へ繋がる医学の発展をご紹介します。(文:津山洋学資料館HPより抜粋)2015年9月5日取材

2015年9月5日(土)~10月4日(日)津山洋学資料館 9:00~17:00(入館は16:30まで)

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岩滝様と腰淵様(油木北)旧久米町

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 油木北の岩滝様も巨岩崇拝に基づく神様で、此の地方は、弥生時代の集落址・土拡墓群、数々の古墳のあることからして、弥生時代から古墳時代、奈良平安時代へと、人里の栄えた地域で、小範囲の地域に巨岩の何個もが集まっている岩滝様のあたりは、磐境とか磐座と見立てるに恰好の条件を備えていて、神宿る聖域として祭祀が行われており、時代が降って、瀬織津姫(せおりつひめ)の神を祭神とする岩滝様が祀られるようになった。

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沼の住居址に咲くつつじの花がきれいでした。

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2015年4月8日の沼の住居址のつつじが綺麗です。
 ここの竪穴住居の中央部にはイロリがあり、そのイロリを囲んで家族生活が営まれていたようです。竪穴住居址を調査すると、時には紡錘車という糸紡ぎの道具や鉄の 加工具、あるいは石の道具を作る際に出る石くずなども発見されるので、竪穴住居の中では布を織ったり、木や石の道具を作ったりもしていたようです。

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【津山人】箕作秋坪(1825-1886)のエピソード

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【津山人】箕作秋坪(1825-1886)

 箕作秋坪は1825(文政8)年に菊池士郎と多美の二男として備中国下呰部村(あざえむら)に生まれました。13歳で父を亡くしますが、17歳頃から父の旧友・稲垣研嶽(いながきけんがく)の下で漢学を学び、さらに江戸へ出て箕作阮甫(みつくりげんぽ)に弟子入りしました。

 1849(嘉永2)年には、大坂の緒方洪庵(おがたこうあん)の適塾に入門。この時にはもう箕作家の養子になることが内々に決まっていたようです。翌年、藩に正式に養子として認められ、さらにその翌年、江戸へ戻って阮甫の三女つねと結婚。新進の医師として活動を始めました。この時秋坪は27歳でした。

 翌1852(嘉永5)年には、藩主松平斉民(まつだいらなりたみ)のお目見えもいただきました。

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飯綱神社(高野押入)

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飯綱神社(津山市高野押入)

 『美作國神社資料』には、「苫田郡高野村大字押入字下押入 村社 飯綱神社 祭神 倉稲魂命 祭日 例祭 十月二十日 社殿 本殿 神楽殿 氏子戸数 六拾戸 境内神社 尾鼻神社 祭神 高龗神命 由緒沿革不詳」とあります。 

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白神大明神(津山市押入)

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小野のお通
 江戸時代のはじめのころのことです。
 高野押入村に、女の子が生まれました。名をお通といいました。小野は、母方の姓です。 
 お通は5才で、和歌をよみました。10才になると、布を織ることをおぼえ、12才で、むずかしい漢学の本がよめるようになりました。  
 そのうえ、とても美しい娘だったので、美作の国中で評判になりました。
 16才になったときうわさを聞いた都のお金持ちが、およめにほしいともうしこみました。お通は気がすすまないようすでしたが、およめにいくことがきまりました。

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能万寺古墳群(きつね塚遺跡)(津山市押入)

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狐塚遺跡(きつねづかいせき)
 この遺跡は古墳時代後期(七世紀前半、約1300年前)のムラの跡です。津山東中学校の建設に先立ち津山市教育委員会が1973年に発掘調査しました。
 東西100、南北30mの調査範囲から竪穴式住居址二五軒、建物跡十一軒が発見されました。これらの遺構からは鍛冶炉とともに多量の鉄滓(製鉄や鉄加工をした時に残る鉄かす)が見つかりました。鉄滓には、製鉄をした時にできる製錬滓があることや、鉄鉱石の破片が住居内から出土したことから、このムラに住んでいた人々は、製鉄や鍛冶にたづさわっていたことがわかりました。(前回の取材

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沼の住居跡地の今

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2014年11月6日取材     (前回の取材)

 弥生時代以降、津山は農業を基盤として発達してきました。江 戸時代に津山城が置かれてからも、城下町は周辺の農業集落を背景として成り立っていました。明治時代になってからも、近代産業の発達はたち遅れたため、交 通の要衝(ようしょう)という位置をいかし、周辺の農業収入を背景とした商業を特に発達させてきました。

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『吉田牧場の阿部真理子』展 (M&Y記念館)

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『吉田牧場の阿部真理子』展2014年11月8日(土)~2015年1月18日(日) ※年末年始(12/28~1/4)は休館
 今回の作品展は、見ていると阿部さんの人柄がわかるようでした。広告なのに、可愛くて、楽しくて、それでいて自由で大きく羽ばたいている作品が多くて心が温かくなります。

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