阿黒谷(上之町)
上之町(五丁目)と阿黒谷
森藩時代から四丁目に続いて千光寺・蓮光寺などが、丹後山南麓に続く。
千光寺ゆかりの養護施設二葉園の前の道を山に向かえば、阿黒谷にかかり、丹後山への登山道となる。阿黒谷は、戦国時代、このあたりにいた土豪阿黒氏がいたところと伝えられている。武家町もこのあたりになると閑散としてくる。千光寺のしだれ桜は見事である。(文:城東観光 看板より)(2017年10月7日撮影)
上之町(五丁目)と阿黒谷
森藩時代から四丁目に続いて千光寺・蓮光寺などが、丹後山南麓に続く。
千光寺ゆかりの養護施設二葉園の前の道を山に向かえば、阿黒谷にかかり、丹後山への登山道となる。阿黒谷は、戦国時代、このあたりにいた土豪阿黒氏がいたところと伝えられている。武家町もこのあたりになると閑散としてくる。千光寺のしだれ桜は見事である。(文:城東観光 看板より)(2017年10月7日撮影)
市内の稲荷神社を探している途中で見かけた伏見稲荷神社です。傍らの社務所に貼ってあったのは「当神社神殿には稲荷五大神の宇迦之御魂大神を主神に、佐田彦大神、大宮能売大神、田中大神、四大神の五柱をお祀りしてございます。」です。
(2017年10月9日撮影)
津山中学校(現津山高校)の校舎が建設されるとき、いま校庭になっている一部に裏地があり、そこにあった石像の鬼子母神が妙法寺に移された。鬼子母神は日蓮宗の仏神で、人の子を食う鬼女が、釈迦の説法で前非を悔い改め、菩薩になったというインドの詞梨帝菩薩を日本に移し、鬼子母神(きしもじん)というようになった。
所在:津山市西寺町妙法寺内 祭神:力リテイボサツ 創建:不詳
(文:『津山城下町まちなかお社巡りマップ』 津山まちづくり本舗)(撮影:2017年4月23日)
日限り地蔵
『むかし、皿川に琵琶が渕という渕があった。ここでは、毎年身投げをする人があとをたたなかった。なんとかして身投げをさせないようにしようと相談し村の人たちは、とむらいをしないという立札を立てた。その後は身投げをする人がぱったりといなくなった。喜んだ村の人たちは、そこに、延命地蔵をまつった。人々はいつとはなしに日限り地蔵とよぶように成った。』
ところがこの地蔵が部落の境にあったので、けっきょく二つに分けてまつることにした。
今の佐良神社のがけ下にあるのが本家で、すこし南の平福の道路ぞいにあるのが分家だといわれている。いつのころからか「日限り地蔵にお願いすれば、子どもがさずかるそうじゃ」といううわさが広まっていった。評判を聞いて、子どものほしい人がつぎつぎにおまいりするようになった。
お祭り当日には、子どもの健やかな成長と交通安全を祈って、ご祈とうをお願いしております。
ー岡山の民話よりー(文:現地説明板より)(2017年9月30日撮影)
笠場山福聚院 普門寺 縁起
木版略縁起によれば、「作州真嶋郡笠場山普門寺は往昔弘仁七年(816)吾弘法大師始めてこの山にあそび精修勤念したまう時に、祥瑞嶺上にあつまり閃光渓道に映ずるを観て、師深く求法の勝地なる事をさとり、ついに即ち本尊聖観音、不動、毘沙門の三尊並びに仁王の像を彫刻し、伽藍僧舎を草創して秘密瑜伽の道場をおこしたまう。しかるに、去る乱世の頃、仏閣ことごとく兵火に炎焼するといえども、彼の尊は泥中に入りて焼失したまう事なし。まことに上求菩提下化衆生の尊像なり。」とある。
当時、普門寺周辺には、松本坊、一乗坊、中坊、新蔵坊の他数十戸の民家があり、耕地が開けていた。当山鎮守として、熊野三所権現を歓請し、北に大山を遙拝して信徒諸地より雲集していた。なお、本堂は寿永二年(1183)春、享保八年(1723)に再建され、辻氏安兵衛秀勝氏によって再建された記録もあり、現在の建物は、明治二十八年(1895)秋に再建されたものである。
常内に安置されている龍の彫刻(干ばつ時雨乞いの祈祷に用いた)は元禄二年(1689)当時の欄間である。(文:石碑より)(2017年5月14日取材)
2017年10月18日、アメリカのミネソタ州、サウスダコタ州、オランダから織実演見学・棉繰り・糸紡ぎ・機織体験に10名の方が作州絣工芸館に来られ、作州絣が出来るまでのプロセスを学び、体験し、楽しんで帰られました。作州工芸館では、9月から8畳2間と広くなって織の体験ができるようになり、最近は日本ツアーの体験型が人気があるとのことで、作州絣工芸館にも海外から次々と来られているそうです。これからも海外の方々を積極的に受け入れて行かれるそうです。日本ツアー体験型の津山名所ができました。(2015年の取材)、(織り人養成講座作品展の様子)
主祭神:伊邪那岐命・伊邪那美命、例祭:十月十日、境内地:七九二坪、主要建物:本殿・幣殿・拝殿 由緒沿革 創建年月等不詳。元扇宮と称し、大谷八伏の地にあり、社領八町歩を有し、地方における有力な神社である。天文年中尼子晴久の乱、永禄年中凶徒の乱により、古證文宝物等悉消失した。慶長八年森忠政公入封築城後塞神の処より大谷八伏に向けて大砲の訓練を行い支障があるので、森長継が、寛永十二乙亥年現在地に移転し、青木神社と改称した。明治五年村社に列した。(文:『岡山県神社誌』より)(2017年10月9日撮影)
2017年10月15日(日)津山まつりがスタートした。東の「大隅神社」の還幸は、雨の為イーストランドではなく、玉琳公会堂がお旅所になっていました。また、出動だんじりは、兼田・川崎・太田、玉琳・東松原・古林田・東新町・西新町・上之町7丁目・中之町・勝間田町の11台の予定でしたが、本まつりは残念ながら雨の為、太田・川崎・兼田の3台になりました。催し会場のイーストランド駐車場であったイベントの時間も雨の為少し早まって行われていました。関係者の皆様、雨の中をお疲れ様でした。(2015年の祭の様子です。)
2017年10月14日に棟方志功・柳井道弘記念館(M&Y記念館)へ立ち寄ってみました。
版画の寺・毎来寺住職の岩垣正道版画展が平成29年10月1日~22日まで行われています。
「津山に私の大尊敬する、棟方志功記念館が開館して今年で10周年になります。そのような記念の年に版画個展が開けることはとても光栄に思います。県北の風景をテーマに制作してみました。」との岩垣正道さんのコメントが添えられていました。
2017年10月15日はイナバ化粧品店のすぐ前の川崎八幡様秋祭りの日です。この日は残念ながら小雨が降っていて肌寒い日になりましたが、ダンジリは元気に町内を練り歩いていましたよ。ママからお聞きすると、昨日の宵祭りが綺麗だったこと、また、お祭りが年々寂しくなっているとのことでした。どこの町内も一緒ですね。外は雨でもイナバ化粧品店内ではお馴染みのお客様もおられて賑やかでした。突然ママが「あっ!そうじゃ、津山を宣伝せなゃ~いけんが!」と、グリーンヒルズの散歩の写真を提供してくださいました。サービス精神一杯のイナバママです。