西東三鬼の句碑

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(2017年8月20日撮影/津山駅前国道53号線沿い)
西東三鬼
明治33年(1900年)、津山市生。昭和37年(1962年)没。
新興俳句の旗手として活動の先頭に立つ。山口誓子を擁し「天狼」を創刊し、初代編集長を務める。自らも「激浪」「断崖」を主宰した。毎年4月1日には墓碑のある成道寺で、門下生や由縁の人々によって三鬼忌が行われている。また、津山郷土博物館には彼の遺品や遺墨などが集められ公開されている。

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(215年10月25日撮影/津山文化センター)
花冷えの城の石崖手で叩く
●津山文化センター
山口誓子はこの句碑と対面し「三鬼は石を叩き、故郷を叩いた。」と評した。自然石になぐり描きしたような大ぶりな彫りに三鬼の知的筆跡が息づいている。胸にこみ上げる郷愁を感じる句だ。

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(215年10月25日撮影/成道寺墓地)
水枕がばりと寒い海がある
●成道寺墓句碑
俳句開眼の句とされる代表作。凍るような胸中の淋しさ不安を詠んで胸を打つ。句中では「がばり」は後に「ガバリ」とされるが墓句碑は初案の短冊から刻まれている。新興俳句にとっても記念すべき一句である。

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(215年10月25日撮影/南新座生家址)
枯蓮のうごく時来てみなうごく
●南新座「三鬼生誕の地」
三鬼が少年時代を過ごした家に建つ句碑。句集には[奈良薬師寺ちいさな蓮池」との自註あり。三鬼はこの句を戦前の作風を全く転換させる機縁となったと自解している。代表作の一つだ。

柿むく手母のごとくに柿をむく
●田町武家屋敷 江原滋氏宅
三鬼は女性賛美を多く句に詠んだ。この句は亡き母を偲ぶもので、津山中学同窓生の江原氏宅にて洗筆し、江原夫人へ贈られたもの。句碑のそば竹樋に落ちる井戸水がゆかしい。個人宅にあるので静かに拝見したい。

(文:津山文学碑めぐり説明より)