【津山ゆかりの人】「モラ」作家 黒田善子さん
黒田善子さんはKガレージアートワークス代表の「モラ」作家さんですが、ご主人が津山出身の黒田悦司さんです。善子さんの陰の立役者でもある悦司さんとは、毎年海外旅行を定期的になさっている仲の良いご夫婦です。(黒田悦司さんは、一般社団法人 進化経営学院の代表理事をなさっておられます。)2013年9月29日取材
黒田善子さんはKガレージアートワークス代表の「モラ」作家さんですが、ご主人が津山出身の黒田悦司さんです。善子さんの陰の立役者でもある悦司さんとは、毎年海外旅行を定期的になさっている仲の良いご夫婦です。(黒田悦司さんは、一般社団法人 進化経営学院の代表理事をなさっておられます。)2013年9月29日取材
2013年9月14日(土)~10月27日(日)まで、鏡野町生まれの彫刻家・桜井敏生さん (72歳)、津山生まれでパリ在住の画家・桜井由子さん(42歳)。石彫と油彩というまったく違った素材による二人の初の親子展が棟方志功・柳井道弘記念館 (M&Y記念館)にて行われています。(10月27日(日)迄開催)
日本原の産土神で、昭和三十三年十一月二日に大吉の広戸神社と新野東の二松神社の分霊を勧請して、日本原神社を創建しました。(勝北町誌より)2012年11月14日取材
衆楽園で1870年開催された曲水の宴、「衆楽雅藻」が発見されました。
巻物は絹布に書いた絹本で、曲水の宴を意味する「流觴曲水」と書いてあり、最後の津山藩主・松平康倫の落款がある。(長さ12.8M、幅0.35M)
康倫の家臣が書いた日記には71年4月12日に巻物が完成したとあるが、その所在は分からなかったそうです。2013年1月、大分県の古書業者から巻物が売りに出されているのを竹内佑宜さんが聞き、是非、津山に残しておかなくてはと入手されたそうです。また、上巻が「乾」、下巻が「坤」の意味らしく「坤」の発見に努めたいとお話し下さいました。(2013年2月25日取材)
我が家に叔母の作った真多呂人形を迎えて、3回目のひな祭りが巡ってまいりました。この冬は図らずも中村勘三郎さん・市川団十郎さんと歌舞伎界の大立役者が相次いで亡くなられました。そこで、団十郎さんの十八番の「暫(しばらく)」など江戸歌舞伎の人形たちを飾りました。(文:江川満子さん)2013年3月31日取材
津山市田町の第7回 旧正月を祝う「田町冬まつり」が2013年2月10日(日)に開催されました。
福井の南部、土居の公会堂付近に、真宮神社の鳥居や花壇があり、その地点より山手へしばらく上がると、海抜204mの平坦な山頂部に達する。ここに福井と新田にまたがって古い城跡があり、新宮城跡と言われている。展望のきく南側は、広戸川に面して急峻な岩肌が切り立っており、城としては天然の要塞を思わせるものがある。
山頂の平坦地は、南北およそ40間(約70m)・東西180間(約200m)の広さがあり、中間に長さ40間余の土塁らしきものが残されている。かっては、土塁の西側に建物の本拠があり、広い東側は、城郭内の広場や城兵糧食の耕地であったと言われている。この新宮城跡については、源平のころからの古い歴史をもつだけに詳細不明で、城主についても異説があり、名称すら新宮か真宮か判然としない面があり「東作誌」等でも謎に包まれた記述がされている。
しかし一般にはあまり知られていないが、明治末年に書かれた新宮城の詳しい伝記本が存在している。安藤十朗氏著「霊夢 神宮山木下伝記」(和綴じ全5巻付録1巻 福井 安藤六衛氏蔵)がそれである。
平安後期に平氏一門の木下氏が拠点として築城した様子から、源平合戦で滅亡するまでの経過を、年代をふまえて克明に記録した伝記である。2012.6~12月取材
吉井川の様子(高瀬舟です。)
津山市在住の塩山さんからご提供いただきました。(2013.1.10)
津山の様子がよくわかる貴重な写真ですね。津山も随分変ったものですね。
2013年1月5日の吉井川に架かる城見橋の右岸側の河川敷で、「体長60cmを超える大きな鳥、羽を広げると1m50cm位になるだろう珍しい鳥が群れていたので撮影しました。とても人なつこくて2m位まで近づいても逃げなかった。」そうです。(情報下さったのは津山市小姓町にお住まいの小川宏さん)
詳しいことが解らないので、自然と人間をテーマに、社会的視点にたった「自然界の報道写真家」として活動中の宮崎 学さんにお問合せをしましたら、
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「サカツラガン」です。
日本には昔から渡ってきたようですが、数は少なく、近年は非常に珍しいガンになっています。今冬は、20数羽で飛来したというようなことがネット情報に流れていました。
動物園などでみられる「ガチョウ」ですが、あれはこのサカツラガンを家禽化したものです。サカツラガンは美味しいので、世界的にかなり乱獲が進んでいるようです。
絶対的に数が少ないので、日本にやってくるのも稀になってしまったようです。
いずれにしましても、幸運な出会いをしたと思います。
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2012年の大晦日~2013年の年明け、毎年恒例となった津山市小田中の「年忘れ花火大会」が、 今年で20周年を迎え、盛大に打ち上げられました。 お餅つきをしたり、そば、やきいも、お雑煮他いただき、帰るころはお腹一杯でした。冬の花火もいいものですね。お世話くださった各町内会の皆さまありがとうございました。