勝北総合スポーツ公園のツツジ
2023年4月8日・14日に津山市西下1100−1にある勝北総合スポーツ公園のツツジを観にやって来ました。毎年のようにツツジが咲くころ、散歩に来るのですが今年も綺麗なツツジが見えました。
綺麗にお手入れされた山々ですが、長年御世話されていた方が亡くなられてしまい、少し手が回らなそうですが、散歩道を整備してくださっている地区の人達に感謝です。
2023年4月8日・14日に津山市西下1100−1にある勝北総合スポーツ公園のツツジを観にやって来ました。毎年のようにツツジが咲くころ、散歩に来るのですが今年も綺麗なツツジが見えました。
綺麗にお手入れされた山々ですが、長年御世話されていた方が亡くなられてしまい、少し手が回らなそうですが、散歩道を整備してくださっている地区の人達に感謝です。
瑠璃山 本光寺案内
長徳(995)のころより薬師如来を安置して、神徳寺と称す。
寛文(1661)のはじめ津山藩二代目森長継(ながつぐ)、黄檗(おおばく)の木庵禅師の高弟鉄堂に帰依し本光寺と改名。
東一宮中村(ちゅうむら)七十五石六升六合、西一宮湯谷(ゆだに)村七十四石九斗二升四合、計百五十石を禄高として復興、森家菩提寺となる。
元禄十年(1697)、森家改易と共に一時寺領退転となるも、森家の族、播州乃井野の城主、森對馬(もりつしま)守長俊、同備中新見の城主、関備前守長治(せきびぜんのかみながはる)、同赤穂加里屋の城主、森和泉守長直(いずみのかみながなお)等の諸候より茶湯料(ちゃとうりょう)として各高十石宛寄附あり。
且、松平家津山へ入城の後、その由緒特殊なるを以って、寺格取扱最鄭重にして年々高米寄附あり しかし明治維新に及び諸候の寄付は全く廃絶 戦後の農地改革(昭和22年)、を経て今日に至る。
境内は天然の砦を成していて、両側の外堀「放生池(ほうじょういけ)」を通って境内に入る。門前に鉾立(ほこたて)石、土塀には銃眼もみられる。また、裏庭は自然をとり入れた「蓬莱(ほうらい)の庭」と呼ばれ造園は衆楽園と同じ長継である。
国史跡の津山城跡整備事業の一環として、令和元年度から津山市が行っていた二の丸東側石垣の修理工事が終了したので、2023年3月11日に現地見学会が行われました。当日はお天気も良く汗ばむくらいの中、普段は入れない所での見学会でした。この工事で一番大変だったのは、東側は狭くて大きな重機が入れないので、石垣を挟んだ見えない本丸からのクレーン操作だったそうです。
この石垣修理工事は令和元年12月~令和5年3月、工事金額は171,523,000円、解体した石のは約950個(築石および大きめの間詰石含む概数)、解体面積は242㎡(表面228㎡、背面14㎡)、取り替えた石は(築石サイズ)約70個(破損によるものと、花崗岩の取り替え)
(2021年11月28日の二の丸東側石垣修理工事の現地見学会の様子)
(上記:『津山の人物Ⅱ』平成3年10月17日津山市文化協会発行より)
植原六郎左衛門は幕末の津山藩士で海防家・水練家として名高いサムライ。古式泳法神伝流の第十世宗師。嘉永元年(1848)津山藩の水練師役となり、嘉永六年(1853)幕命により出府、同藩士はもとより多くの他藩の士にも教授した。その時代から水戸藩尊攘家の人々と交友を深め、安政四年(1857)勤王儒者藤森弘庵は槇原に会うべく来津してもいる。文久三年(1863)幕府より六郎座衛門に大砲製造の命令が下り、以後そのことにあたるも明治元年(1868)十一月、自邸内にて自決した。享年五十三。(上之町4丁目植原六郎左衛門旧宅跡看板より)
2023年3月25日「津山さくらまつり」のオープニングセレモニーが開催されました。
津山地方は前日降っていた雨は止みましたが、日中はどんよりとした曇り空となり、少し肌寒い日となりました。さくらの花も開花が進み、ソメイヨシノは満開とはいえないのですが、早咲きのさくらは満開でした。今年もオープニングを華やかに彩ったのは津山情緒保存会の皆さんによる踊りでした。
令和5年「梅まつり」が、津山市神代(こうじろ)の梅の里公園で2023年2月26日~3月26日まで開かれています。梅の花はもう少しで満開になるようですが、3月14日の園内では可愛い梅の花が沢山咲いています。香りのよいロウバイの花は既に終わっていましたが、老木にちよこっと咲く梅の花がとても可愛い感じです。しだれ梅が満開になる頃は園内は華やかでしょうね。
「梅まつり」の期間中はテント村でホルモンうどん、焼き栗、うどん、ぜんざい、ホルモンコロッケ、ホルモンカレー、杵つき餅などが販売されます。また、3月18日にはバンド演奏・19日にはカラオケのイベントもあるようです。
津山市に観光客を呼び込もうと、津山藩松平家の菩提寺の泰安寺に黄金の茶室「銀金・神仏の茶室」が常設展示されることになり、記念の茶会が2023年2月10日に開かれました。
この茶会は、津山街デザイン創造研究所(山本昇所長)主催の「生きている城下町 美都津山・葵の御紋で繋がる『城東』と『城西』」という、2022年度 観光庁地域採択事業で津山市への誘客実証事業の一環です。
設置された茶室は、津山街デザイン創造研究所が、日本建築家協会第10代会長の出江寛氏に依頼して制作しており、国内外で注目される建築家の作品を通じて津山をPRしていきたいとのことです。
津山市中心部の商店街や、国重要伝統的建造物群保存地区の城東、城西地区の約150カ所でひな人形や飾りが展示されて一気に春の訪れを感じます。ここ城西浪漫館の二階にも工夫を凝らした行列するおひな様が飾られていて、楽しかったです。
この雛めぐりでは、チラシに添付のクーポンを持参すると、参加店(30店)でさまざまなサービスが受けられる特典もあり人気で浪漫館でもチラシを求めてこられる人もあるそうです。
2022年11月27日、「城西まちづくり協議会」の佐々木さんから誘われて参加してきました。
津山市の城西地区は、桜の名所として有名な津山城の西側に位置しており、人口約5,000人・約2,000世帯で、高齢化率が約35%だそうです。実は私も地区に住んでいる住人として参加してきました。いままでは災害が起こっても何をどうするか漠然としか知らずにいたのですが、参加してみて参考になることが多々ありました。住民が主体となった城西まちづくり協議会は、2018年の西日本豪雨後に、地区防災計画書を作成する機運が高まっていき、2020年1月に岡山県初の地区防災計画を策定し、内閣府の地区防災計画のモデル地区に選定され、これを契機として、災害対策のための研修や訓練を続けてきたそうです。
津山市沼の「旬菓匠くらや」さんで、2023年2月3日~6日の間、「輝け命 第二回青柳紀子写真展」がありました。青柳紀子さんは、鏡野町円宗寺のアマチュア写真家で、昨年お亡くなりになられました。
昨年奈義山麓山の駅であった写真展にも伺わせていただきましたが、青柳さんの撮られた写真は、お花がいっぱいで、お人柄が忍ばれるやさしい写真ばかりでした。特に私が印象に残った作品はさくらですが、うまく撮れないですみません。(2023年2月5日撮影)