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取材記事内を検索ワード「清眼寺」で検索した結果,19件の記事が見つかりました。

2017年 清眼寺のぼたん祭りの様子です。

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2017年4月29日にボタン寺で有名な清眼寺のぼたん祭り(ボタン100種300株)がありに行って来ました。ボタン祭りの期間は、4月25日(火) 10:00 〜 5月3日(水) 16:00でした。また、期間中は清眼寺本堂にて寺宝展や書道展がありました。30日には、筆供養、オカリナの演奏会などもあったそうです。(2014年のボタン祭りの様子です。

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(公社)津山市観光協会が『南十字星章』を創設

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2014年5月29日 津山市観光協会は昨年9月に市議会が決議した「観光立市宣言」を受けて、おもてなしを盛り上げようと観光協会独自のマイスター制度を設け3人に授与しました。
 食を通じた地域おこし「津山ホルモンうどん研究会」代表の鈴木康正さんは「市民が喜び、訪れた人に笑顔で帰っていただけるようなまちづくりを続けたい。」、私設美術館「M&Y記念館」・津山城鉄砲隊などを設立した豊福恒弘さんは「自信を持って津山を世界に発信していきたい。」津山の観光ガイドや清掃ボランティアなどに取り組む藤木靖史さんは「大好きな津山の役に立ちたい。」など抱負を述べられました。

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2014年清眼寺のボタンの花です。

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院庄の清眼寺で恒例のぼたん祭り(2014年4月27日(日)~2014年5月6日(火)10:00~16:00)がありました。写真は2014年5月1日のボタンの花です。
清眼寺は、美作88ヶ所第56番札所・美作国七福神毘沙門天霊場として、多くの参拝者で賑わいます。別名ぼたん寺ともいわれ、毎年のぼたん祭りには、色とりどりの美しい大輪の花を咲かせ、参拝者を楽しませています。

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2013年 清眼寺のボタン祭りの様子です。

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2013年5月3日の清眼寺のボタン祭りの様子です。小雨が降ってきたので大急ぎで撮ってきました。ここのボタンは100種約300株があるそうです。また、3日は午前10時から筆供養、同10時半からオカリナやベトナム楽器・ダンチャインの演奏などがありました。清眼寺(2009.4.22取材)はここから、また2012年の様子はこちら

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清眼寺のぼたんの花が美しい。

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また、今回は2012年4月28日のボタンの花です。まだつぼみが沢山あったので長く楽しめそうでした。この他、愛染寺のぼたんが綺麗でした。(2010年取材)
  清眼寺は、美作88ヶ所第56番札所・美作国七福神毘沙門天霊場として、多くの参拝者で賑わいます。別名ぼたん寺ともいわれ、毎年のぼたん祭りには、色とりどりの美しい大輪の花を咲かせ、参拝者を楽しませています。

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貞孝母子の碑【津山市院庄地区】

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貞孝母子の碑(2011.3.22)
 大字院庄の構城趾にある。
 文久の頃院庄に島田馬之丞というものがあったが、生来病弱で農耕もできないため家運も傾いていたが、妻と娘は昼は野良仕事をし、夜は内職等して一日たりとも休まず一生懸命働いて家計を維持していた。
 馬之丞は家族の苦労を見かねて、つい出来心を起し他家の酒粕を盗んで売り家計を助けようとしたが、発覚して捕まえられ獄に投ぜられた。母子は大いに悲しんで夫の身代わりとなって家の恥を辱ごうと決心し遺書を認めて、酒粕を盗んだのは自分等母子であって父親は無実であることを訴えて母子共に自害して果てた。時に文久元年4月29日であったという。
 遺書は郡の役所に差し出されたので、官では母子の心情を憐んで馬之丞を釈放し、村人に命じて母子を手厚く葬らせた。
 馬之丞は悔悟剃髪して院庄清眼寺に入り、母子の冥福を祈ったという。
 たまたま津山藩士鞍懸吉寅(後、津山藩権大参事となる)の知るところとなり、慶応3年その七回忌にあたり、院庄構城趾に建碑して「貞烈純孝島田母子之碑」としたのである。(昭和54年10月23日発行:院庄誌より)

 

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愛染寺のぼたんが綺麗でした。

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毎年、5月の上旬にはボタンが見頃を迎えます。
愛染寺は鐘楼門及び仁王堂は、岡山県指定文化財建造物に指定されています。また、神崎與五郎母堂の墓、大師堂裏に「秋月妙清信女」の墓があります。この墓は神崎与五郎則休の生母の墓で、元禄3年に死没し、与五郎がここに葬りました。与五郎は寛文6年津山で生まれ、のちに穂藩浅野家に出仕、赤穂義士として元禄16年江戸城水野邸で自裁、泉岳寺に眠ります。時に38歳でした。(2010.4.29)
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