貞孝母子の碑【津山市院庄地区】
大字院庄の構城趾にある。
文久の頃院庄に島田馬之丞というものがあったが、生来病弱で農耕もできないため家運も傾いていたが、妻と娘は昼は野良仕事をし、夜は内職等して一日たりとも休まず一生懸命働いて家計を維持していた。
馬之丞は家族の苦労を見かねて、つい出来心を起し他家の酒粕を盗んで売り家計を助けようとしたが、発覚して捕まえられ獄に投ぜられた。母子は大いに悲しんで夫の身代わりとなって家の恥を辱ごうと決心し遺書を認めて、酒粕を盗んだのは自分等母子であって父親は無実であることを訴えて母子共に自害して果てた。時に文久元年4月29日であったという。
遺書は郡の役所に差し出されたので、官では母子の心情を憐んで馬之丞を釈放し、村人に命じて母子を手厚く葬らせた。
馬之丞は悔悟剃髪して院庄清眼寺に入り、母子の冥福を祈ったという。
たまたま津山藩士鞍懸吉寅(後、津山藩権大参事となる)の知るところとなり、慶応3年その七回忌にあたり、院庄構城趾に建碑して「貞烈純孝島田母子之碑」としたのである。(昭和54年10月23日発行:院庄誌より)
▲細い路地です。入口に碑があります。 ▲真っ直ぐ進むと田んぼの中にあります。
▲貞孝母子の碑 ▲清眼寺(通称ぼたん寺として有名)