金屋神社(金屋)
由緒
百済王敬福の末裔、百済源次家久が観応2年(1351)3月官命によって、長岡郷に移住し鋳工を始めた。世人はこれを釜屋と呼び、業が大いに盛んになり、人家が集合して一邑をなしたという。当時の釜屋が現在の金屋である。家久は猿田彦神を守護神として祀り金屋権現と称した。明治4年金屋神社と改称し、明治6年村社に列した。昭和24年摂社八幡神社を合祀して相殿に祀っている。(文:『岡山県神社誌』より抜粋)(2020年6月27日撮影)
由緒
百済王敬福の末裔、百済源次家久が観応2年(1351)3月官命によって、長岡郷に移住し鋳工を始めた。世人はこれを釜屋と呼び、業が大いに盛んになり、人家が集合して一邑をなしたという。当時の釜屋が現在の金屋である。家久は猿田彦神を守護神として祀り金屋権現と称した。明治4年金屋神社と改称し、明治6年村社に列した。昭和24年摂社八幡神社を合祀して相殿に祀っている。(文:『岡山県神社誌』より抜粋)(2020年6月27日撮影)
2020年8月7日の津山地方は台風のためか時折雨がぱらついてきました。
昨日、イナバ化粧品店さんからお電話いただき、「8月9日から16日まで臨時休業します。」とのことで急遽伺ってきました。何でも、新型コロナウイルス感染が全国的に広がってきているので、多くの皆さんにご迷惑をかけたくないとのことで、お盆過ぎまでお休みにするとのことでした。着くなりママは「いつも自粛で家から出ることがないので真っ白よ、ほらっ!」と白い手を見せてくださいました。毎日が自粛のため少々退屈気味のママですが、いつものお元気な顔が見えてほっとしました。
香山家 香山太郎兵衛 東南条郡野介代村 森藩~松平藩
大庄屋まで
香山氏は、播磨国揖保郡香山の地名によるという。康正2年(1456)山名氏の家臣となり、香山城主であった。羽柴秀吉に攻められて落城し、香山安正が美作に逃れ、高野本郷の中島隆重の婿となった。
森藩によって大庄屋に任命され、貞享年間に川崎村から野介代村へ転居した。
大庄屋として
貞享元年(1684)吉井川の大洪水があり、川崎村は大きな被害を受けた。翌年、森長成の命により、川崎村200余戸と川崎八幡神社や高福寺を北方の丘陵や野介代村に移転した。香山太郎兵衛は、移転に反対する百姓を説得して、移転させ、丘陵の開墾に尽力した。
元禄8年(1695)幕府は江戸の中野に犬小屋建設を森藩に命じた。その経費として特別な負担を申し出た大庄屋や大年寄の中に香山太郎兵衛の名がある。森藩改易の翌年、松平長矩が新しく津山10万石の領主となった。この時太郎兵衛は領民の代表として土居藤七と江戸へ行き祝意を表している。
令和になって初めての正月を迎え、落ち着いたところでイナバ化粧品店さんへご挨拶に伺いました。
2020年1月13日の成人の日、お店の中はお昼休みで比較的落ち着いたところでした。ママは朝からサムハラ神社にお参りに行かれたお客様から色々と話を聞いておられたそうです。そこで、サムハラ神社へお参りに行こうということになり、急遽お参りしてきました。サムハラ神社では昨年も偶然お会いした方もお参りに来られていて、ワイワイガヤガヤ記念撮影をしてきました。
2020年1月13日、八出天満宮で合格祈願祭がありました。この日は青空の元朝早くから車で駆け付けた多くの受験生親子が訪れていました。受付をすますと順次拝殿に入り、吉田宮司からお札を受け取っていました。これから寒くなってきますので、体調に気を付けて受験に臨んでくださいね。どうぞご利益がありますように!
また、一日前の12日には境内でとんど焼きがあり、氏子の皆さんが家内安全を祈願しました。
わっしょい、わっしょい。と掛け声がだんだん大きく聞こえてきました。奈義連邦を背景にしてた熊八幡神社のお神輿様がご神幸です。今年の当番は中土居部落だそうです。
2019年10月26日「徳守神社の令和初めの秋祭り 徳守大祭」宵宮の様子です。
だんじり出動数は13台。この日は途中から雨が降りだして心配しましたが、夕刻にはなんとか止んで無事「だんじり宮入祓」も行われました。その後、だんじりは次々と商店街や市内を「そ~やれ!」と威勢の良い声で練り歩きました。
田熊の舞台 防災施設改修記念イベントが2019年10月26日(土)田熊八幡神社(津山市田熊2384)でありました。国指定の重要部系民俗文化財である田熊(たのくま)の舞台で、防災施設の改修完了を記念して太鼓や獅子舞、漫談、舞踏などが上演され、来場された方々は可愛い子どもの踊りをはじめ夢小路あきまろさんの漫談等で大いに楽しんでおられてました。
井上家 井上勘三郎 勝北郡福井村 土浦藩
家伝によれば、源頼朝に仕えた井上十郎左衛門義吉の後裔井上蔵人正清が播磨国乃井野から移住して岩黒城を築いた。一族は後藤勝基に仕え、天正7年(1579)三星城合戦で戦死した者もいた。正清の子孫が、福井村帰農したという。延享4年(1747)、土浦藩は吉野郡、勝北郡の1万9千石余を領し、天明2年(1782)大庄屋として近長村甲田猪吉、福井村井上勘三郎を任命した。
大庄屋としての記録はなく不明である。福井村正伝寺、八幡神社の延享元年の棟札に、庄屋井上五郎兵衛の名がある。
福井村は、広戸川が形成した低地と、低丘陵の村である。森藩改易後、幕府領となり、延享4年(1747)常陸土浦領となった。
由緒
創建年代は不詳であるが、美作の政治の中心地に鎮座せられたので、多数の氏子を有し、祭事も盛んであったが、津山に政治の中心が遷ってから衰退し、一時は吉田神社の境外社であったが、明治六年に村社に列した。昭和十六年神饌幣帛料供進指定神社に指定せられた。(文:『岡山県神社庁誌』より)(2019年1月19日撮影)