美作の大庄屋巡り「香山家」(野介代)
香山家 香山太郎兵衛 東南条郡野介代村 森藩~松平藩
大庄屋まで
香山氏は、播磨国揖保郡香山の地名によるという。康正2年(1456)山名氏の家臣となり、香山城主であった。羽柴秀吉に攻められて落城し、香山安正が美作に逃れ、高野本郷の中島隆重の婿となった。
森藩によって大庄屋に任命され、貞享年間に川崎村から野介代村へ転居した。
大庄屋として
貞享元年(1684)吉井川の大洪水があり、川崎村は大きな被害を受けた。翌年、森長成の命により、川崎村200余戸と川崎八幡神社や高福寺を北方の丘陵や野介代村に移転した。香山太郎兵衛は、移転に反対する百姓を説得して、移転させ、丘陵の開墾に尽力した。
元禄8年(1695)幕府は江戸の中野に犬小屋建設を森藩に命じた。その経費として特別な負担を申し出た大庄屋や大年寄の中に香山太郎兵衛の名がある。森藩改易の翌年、松平長矩が新しく津山10万石の領主となった。この時太郎兵衛は領民の代表として土居藤七と江戸へ行き祝意を表している。
所在地
野介代村は、津山城下の東に位置し、丘陵部と吉井川の支流逆川などの谷から成る。村の南を東西に出雲往来が通り、村の東には因幡往来が、北東にある押入村へ向かって続いている。
屋敷
野介代公会堂西の丘陵の東斜面に竹藪で覆われている屋敷跡が最近発見された。墓地は屋敷の裏にあったが、現在、高野本郷の菩提寺天台宗永案寺へ移転されている。
子孫
子孫はブラジルに居住して、一族は千葉県に住んでいる。
竹藪の中に大きなシュロの木が生えている。
竹藪の中に何か建物が残っている。
(2020年2月3日撮影)(文:『美作の大庄屋~故地をたずねる~』より)