美作の大庄屋巡り「井上家」
井上家 井上勘三郎 勝北郡福井村 土浦藩
家伝によれば、源頼朝に仕えた井上十郎左衛門義吉の後裔井上蔵人正清が播磨国乃井野から移住して岩黒城を築いた。一族は後藤勝基に仕え、天正7年(1579)三星城合戦で戦死した者もいた。正清の子孫が、福井村帰農したという。延享4年(1747)、土浦藩は吉野郡、勝北郡の1万9千石余を領し、天明2年(1782)大庄屋として近長村甲田猪吉、福井村井上勘三郎を任命した。
大庄屋としての記録はなく不明である。福井村正伝寺、八幡神社の延享元年の棟札に、庄屋井上五郎兵衛の名がある。
福井村は、広戸川が形成した低地と、低丘陵の村である。森藩改易後、幕府領となり、延享4年(1747)常陸土浦領となった。
屋敷・墓地(墓地などをご案内いただいたのは分家の井上様です。)
屋敷跡は、広戸川から少し北の段丘上にあり、広い耕地になっている。墓地は、屋敷跡から谷沿いに西に上がった所にあったが、現在菩提寺の真言宗清瀧寺(津山市河面)に移転している。屋敷跡の近くに井上家が祀る先祖社がある。
子孫
井上逸郎が、津山市勝北町で内科、眼科を開業していた。子孫は県外へ転出している。屋敷跡付近に一族の子孫が住んでいる。
井上家の墓地です。
屋敷跡の近くに井上家が祀る先祖社がある。
屋敷跡の近くに本平の住人により祀られる早神様がある。
現在菩提寺の真言宗清瀧寺(津山市河面)
(文:『美作の大庄屋~故地をたずねる~』より)(2019年10月10日撮影)