奈義町で見たアジサイの花
2019年7月6日、奈義の「山の駅」へ行った帰り道に見つけたアジサイの花です。
車の中から奇麗なグラデーション色のアジサイの花が見えて、思わず立ち寄ってきました。アジサイの花はもう終わり掛けの時期ですが、まだまだ瑞々しいアジサイの花でした。この日は風も強く、アジサイの花を可愛く撮ろうとしましたがブレてしまいました。また、楽しみが増えました。
2019年7月6日、奈義の「山の駅」へ行った帰り道に見つけたアジサイの花です。
車の中から奇麗なグラデーション色のアジサイの花が見えて、思わず立ち寄ってきました。アジサイの花はもう終わり掛けの時期ですが、まだまだ瑞々しいアジサイの花でした。この日は風も強く、アジサイの花を可愛く撮ろうとしましたがブレてしまいました。また、楽しみが増えました。
2019-年5月29日高取誠治さん宅(奈義町豊沢540-1)のお庭で咲くバラの花を拝見してきました。
高取さんのお庭全体には今が見ごろの色とりどりのバラの花が満開で見ごたえあります。
奥様にお聞きすると、ご主人がとてもバラの花がお好きで棚などは全部作って下さったそうです。「バラのお好きな方はいつでも遠慮なくご覧になってください。」とのことでした。
2019年5月27日奈義町のTさん宅のバラ園をお訪ねして来ました。
今年もバラ園のバラは綺麗に咲いていました。丁度ご夫妻がおられ、今年は少し花が咲くのが早いとのこと。ここのバラ園の特徴はバラのアーチが沢山あるので何処から写しても絵になります。バラの花が生き生きとしていて本当に素敵なバラ園でした。(昨年の様子)
横仙歌舞伎(よこせんかぶき) 横仙とは、奈義町の辺りを指す古い地名で「山の横」という意味。
那岐山の辺りは古くから横仙地方とよばれ、江戸時代末期(今から約200年前)から盛んに農村の楽しみとして地下芝居(地元の人々が行った素人芝居)が演じられてきました。兵庫県の播州歌舞伎などを地方の人々がまねてはじめたとされています。そして、源義経伝説を題材とした「義経千本桜」など多くの芝居が上演されました。地元の振付師の指導のもと、囃子、義太夫、役者も地元の保存会で担当し、芸を磨くとともに、県内外への出張公演や、こども歌舞伎教室などの後継者の育成にも積極的に取り組んでいます。(文:『守ろう地域の宝!民族芸能~美作編~』より)(平成31年4月29日撮影)
2019年4月20日「那岐山麓菜の花まつり」が開催されている奈義町の広大な菜の花畑に行ってきました。奈義町現代美術館周辺と滝本にも会場がありました。
真っ青な青空の中、那岐山麓に向かって真っすぐに伸びる道の両脇には黄色の菜の花が美しく咲いてとてもきれいでした。また、21日には奈義町の特産品が味わえるグルメテントやイベントもあったようです。
2018年11月23日奈義町の菩提寺にモミジと大イチョウの木を見に行って来ました。
当日は曇りで少し肌寒い日でした。津山市内ではイチョウの葉は落ちてしまっていますが、菩提寺の大イチョウはまだ緑の葉があり驚きました。この日はイチョウのライトアップも終わりなので大勢の方が見に来ておられました。また、モミジの葉が綺麗に紅葉していてススキとマッチして美しく素敵でした。
2018年5月29日Tさん宅のバラ園をお訪ねして来ました。ご自宅の前は元田圃だったそうですが、当初は花菖蒲を植えていたが手がかかるので思い切って整地し、ご夫婦で好きだったバラの花を植えようと8年ほど前に始められ、試行錯誤しながらここまで来たそうです。バラの花が生き生きとしていて本当に素敵なバラ園でした。「私たちの趣味なので大々的には宣伝はしない方針ですがバラの花のお好きな方はどうぞ。」とのことでした。
2018年3月17日(土)~2018年5月6日(日)9:00~17:00 なぎビカリアミュージアムで岡山理科大学が所蔵している恐竜の化石の展示があるとの情報と、地球の歴史やビカリア等を紹介する映像をリニューアル!されていると聞き早速行って来ました。とても面白いと感じたのは、「地球カレンダー」でした。人類が誕生するまでの地球の歴史を1年のカレンダーに当てはめたものです。
「ビカリア オブ テラー」を見て、ビカリアの謎を解きあかせ!ここでしか出会えない恐竜たちに会いに行こう!
皆様、明けましておめでとうございます。昨年中はいろいろとお世話になり、心よりお礼申し上げます。今年もどうぞよろしくお願い致します。
大庄屋中島家跡 津山市東一宮(現中島遊園)
ここは藩政時代の「大庄屋中島家累代の屋敷跡」である。初代中島孫左衛門は戦国の末期にここに住み、領主宇喜多氏に禄仕した。関ヶ原の戦いに敗れ宇喜多氏除封の後、武を捨て、営農に励み、森・松平両候のもとで大庄屋となり270年の間、その職を世襲し、農村の発展民利の増進の実を挙げ郷土繁栄の基礎を築いた。
その担当地域は、一宮構と呼ばれ東一宮・西一宮・大田・籾保・上横野および下横野の6ヶ村で、ここが支配の中枢であった。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年2月19日撮影)