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取材記事内を検索ワード「神社」で検索した結果,761件の記事が見つかりました。

御崎神社(中山神社境内)

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 『御崎神社』(御崎神を祀る)の祭神は不詳となっているが、神社側の説明によると「御先→祖神→贄賂梧狼神(しろごろうのかみ)」が祭神である由。社殿は春日造り、明治9年の造営である。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年4月1日撮影)

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津山城下町歴史館が4月オープンしました。

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 江戸時代の武家屋敷だった旧田淵邸を活用した「津山城下町歴史館」が2017年4月27日に開館しました。
長屋門は修復し、傷みの激しい母屋を解体して、1147㎡の敷地にだんじり展示棟、ガイダンス棟が新たに建てられました。展示棟には、県重要文化財だんじり6基。ガイダンス棟にはだんじり1基と、旧田淵邸の模型や、大名行列図の複製などを展示し、パネルなどの資料を並べた。事業費は3棟合わせて約1億2000万円。(撮影2017年4月2日、5月3日、6月20日)

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中山神社概要

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 中山の神は最初、英田郡楢原(美作町)に現れ、里人東内氏の奉仕を受け、次に苫田郡水無瀬川(一宮)の奥、泉水池に現れ、その後田辺の霧山に天降ったといわれる。里人有木氏の奉仕により霧山の磐座に鎮座された。永代鎮座の場所を定める目的で鵜の羽を流し、止まった所が「長良嶽」の麓の石で『羽留石』として今でも注連縄が張ってある。以後この川を「鵜羽川」といい『長良嶽の磐座』に鎮座した。

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荒神社(市場)東一宮

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荒神社(4カ所) 津山市東一宮坦地区(市場)
 三宝荒神の略。カマドの神。坦地区に4カ所祀られていたが、大正3年中山神社惣神殿に合祀された。
 内方地区では、今も年1回お祀りをしている。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年2月19日撮影)

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中山神社の高麗犬(こまいぬ)

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 台石に彫られている寄進年は明和元年(1768)とある。その面貌(めんぼう)は獅子でもなく狗(いぬ)でもなくまさに猿。高麗犬の故事来歴も究めれば深いものがあるが、この中山の猿面の高麗犬は天下の奇品であり、その顔は作者の人柄を偲ばせる絶品である。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(写真:2017年4月1日撮影)

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中山神社本殿

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 天文年間戦火で炎上後、永禄2年尼子晴久により再建され元文、寛保、天保、明治、大正、昭和と大修理された。建築の大要は永禄の原形を損することなく室町の特長を残している。桁行き梁行きは各五間四尺五寸で共に三間に造り、単層入り母屋造り檜皮葺き、正面に大唐破風造りの向拝を突出し、軒には重繁垂木を分布し、軸部には総円柱板壁、斗拱は三手先、斗拱の間には正面と左右側面とに草花の透彫を挟んだ蟇肱を配し、後面中備には万束を配している。腰四方には和様の高欄をつけた廻椽を繞らし基底の下部には亀腹を作り、その下に石段を設けている。
また正面の向拝は、その棟が入母屋の裾深き甍壁より出て規模頗る雄大である。

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中山神社の石灯籠

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 瑞垣の本殿前庭にある高さ3mに近い一対の石燈籠は六角形で、手法極めて優秀な逸品である。竿に『壱対石檠 体堅且精 因為神器 徳光縦横 寛文戊申九月吉日 従四位 下美作守 源忠継』と刻まれている。
 忠継は若くして死んだ長継の世子。
これと類似の燈籠が徳守神社と田邑千年寺にある。
(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年4月1日撮影)

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惣神殿(美作の古社諸神を祀る)

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『中山神社資料』によれば「美作の国中12郡の大小神社の神を祀る」とある、別の言い方では「山上山下120社」とも。寛保2年(1742年)の造営で、社殿は春日造りの一変形で唐破風がついている。屋根は桧皮葺、荘重華麗の趣に富む造りで、境内に占める位置から見ても全体の調和が良く整っている社である。
 18世紀の中頃の神社建築を伝える建造物として、平成20年(2008)10月30日津山指定重要文化財に登録された。大正3年に御手洗川の外から現在地に移転された。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年4月1日.6月14日撮影)

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中山神社の表神門

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 表神門は「四脚門」ともいわれ、榎材の四柱に支えられている。なかでも表側の二本は「鏡柱」といい表向きに矢防ぎの幅を持つ。屋根は平入切妻破風造り、総体「医薬門」という形式で前後非対称でバランスを保つ構造である。
 この門はかつて津山城大手二の丸にあったもので、城中にあった時も扉を持たぬ門であったことが城の古図に見られる。津山城の今に残る数少ない建造物として貴重なものである。
 明治7年7月に神門として中山神社に移築された。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年4月1日撮影)

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