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取材記事内を検索ワード「津山人」で検索した結果,83件の記事が見つかりました。

「B'z 津山公演」当日の文化センター内外の様子。

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 2017年7月22日午後6時の開演でした。5時過ぎに見舞われた突然の夕立で、ずぶぬれになりながら会場に入るファン。会場内では始まる直前に2階席を見上げる人と歓声が上がり、その先には2階席の最前列にイナママが顔を覗けてにこり!そして、B'zの稲葉さんが「みなさん、お元気ですか?津山に帰ってきました!」の言葉でコンサートが始まりました。そして、曲の合間に、津山への思いを色々と語って下さいました。以下、内容は覚えている限りです。「県外の人やスタッフに、津山に少しでも良い印象を持ってもらおうと努力している。」また、「心の中の歌詞は津山弁で歌っている。」、「前回、津山へ来た時の唄、あの時僕は何を思って作ったのだろうか?」、「津山文化センターは、僕が生まれてすぐ建った建物で僕と一緒だからやばい!物心ついた頃から鶴山やここへやって来ていた。壁についているあのギザギザ、天井の穴などよく覚えている。改装するという事で今日やれて良かった!」、「今日は津山の人の底力をたっぷり見せて頂きました。」、「今日演奏させてもらって本当にありがとうございました。幸せです。」「津山に生まれて良かった!」でコンサートが終了しました。また、最後の3曲になった時、なんと、文化センターの扉が開いて、外で音漏れを聞いていた人たちにも配慮がありました。

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2017年7月22日「B'z 津山公演」でのおもてなし

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2017年7月22日の午後1時過ぎの様子です。蒸し風呂に入っているような暑さの中を、おもてなしブースでは、津山の水の無料配布や、地元の肉料理の販売をされました。暑い中の作業お疲れ様でした。また、B'zのグッズをお求めの皆さんも炎天下の中長時間お疲れ様でした。新地通商店街さんや元魚町商店街さんは、少し戸惑いながらも初めての試みを頑張っていらっしゃいました。

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B'zコンサート前日の津山文化センター

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 2017年7月21日の津山文化センターです。午後2時過ぎには既にB'zのトラックは到着していました。初めて見るトラックに興奮する子ども連れのお父さんやファンの方です。この日は良い天気に恵まれ、時折吹く風が涼しく感じられました。それに津山城の石垣も緑の木々と美しくコラボしています。また、会場となる文化センターは、静寂な中にも美しい姿でまわりの景色と一体となって公演を待ちかねています。

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おもてなしイベント(文化センター会場)

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2017年7月22日のB'z津山公演のおもてなし会場のご案内です。
 「公演当日は、混雑が予想されますので、津山市内でご近所の方はなるべく、乗り合わせや徒歩で移動をお願いします。」との要望がありました。また、津山文化センター近くでも様々なイベントもありますので併せてご案内してみますね。

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2017年7月のイナバ化粧品店

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2017年7月のイナバ化粧品店内です。「たまには、男の方に囲まれるのもいいものね。」とご満悦なママ。今日B'zは、鹿児島県日置市の伊集院文化会館でのコンサートの日ですが、鹿児島市の地震のニュースにママは心配そうです。早速ファンの方に電話をしてみたそうですが、何とか大丈夫そうなので少し安心しているとのことでした。この先災害のないことを祈るばかりです。

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ママと7.22津山公演の成功祈願にサムハラ神社へ

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2017年7月12日、毎日のように雨が降る今日この頃ですが、午前中は雨も小降りなので、イナママとお花の取材(あやべ花野みち)を兼ねて出かけてきました。ほんの少しのドライブですが、ママにとっては思いがけない出会いがあり、また、偶然にも、サムハラ神社への参拝も出来て良きドライブとなりました。ちなみに午後からはどしゃ降りの雨でした。

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傘寿(さんじゅ)を迎えられたイナバママです。

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2017年6月10日に傘寿(さんじゅ)を迎えられたイナバママさんです。(※「傘」の略字が八と十を重ねた形になり、八十と読めることに由来しています。黄(金茶)が長寿祝いの色とされています。)稲葉浩志さんから送られたお花は黄色を基調にされていました。また、お店の中にはファンの皆さんが沢山来られてママの傘寿を祝っておられました。とても80歳とは思えない若さです。いつまでも若々しくお元気でいてくださいね。おめでとうございます。

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2017母の日のイナバ化粧品店

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 2017年5月15日のイナバ化粧品店内です。母の日に全国から送られてきた店内いっぱいに飾られたお花です。
普段のママはファンサービスに気を配っておられますが、この日はちょっぴりファンに甘えておられました。これからは、少しゆっくりしながら、お身体に気を付けられ、いつまでもご活躍くださいね。いつも私たち周りの人へのお気遣い重ねてありがとうございます。(写真提供:イナバ化粧品店さん)

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立石家(立石岐について)

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自由民権と産業振興で活躍した立石岐 ~作州発展につくした時代の先覚者~
 幕末から明治時代のはじめにかけては、開国の影響と新政府による近代化への改革で、世の中が大きく変わりつつありました。そのころ作州(美作地域)で、近代産業を発展させようと立ち上がったのは、豪農といわれる人たちでした。明治11年(1878)、立石岐、中島衛、内田饒穂、安黒基たちが、養蚕・製糸業をすすめようと「共之社」を結成しました。さらに彼らは、岡山県議会議員となり、自由民権運動を積極的にすすめました。
 彼らの運動は「豪農民権」といわれていますが、その中心となって活躍したのは、立石岐でした。岐は、国会が開設されると、最初の議員となりました。その後も、中国鉄道の建設や学校教育の推進、キリスト教の伝導などで活躍し、作州の産業・文化の発展に大きな業績を残しました。

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【津山人】西東三鬼-俳句界の風雲児

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明治33(1900)年から昭和37(1962)年津山市南新座に生まれる。
 本名は齋藤敬直(さいとうけいちょく)。33歳の時、歯科医だった三鬼は患者達のすすめで俳句を始める。この時から使用したペンネームが「三鬼」で「サンキュー」をもじったものといわれている。
 35歳で代表作の「水枕ガバリと寒い海がある」を発表し新興俳句の有力な作家として認められたが、戦争一色となる社会情勢の中で、新興俳句は内容が革新的であることにより弾圧をうける。
 終戦後、俳句を再開した三鬼は、近代文学としての俳句の可能性を求め、俳句の復活を志した山口誓子とともに昭和23(1948年)「天狼」を創刊するなど俳句の復興に尽力。また、敗戦直後の混乱した時代に俳人が俳句で生計を立てていけるようにと現代俳句協会を創立。句集として「旗」、「空港」、「夜の桃」、「今日」、「変身」がある。
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