東美作路名木百選「酒本家のムクノキ」と「髙仁姫宮の碑」(勝央町)
勝央町の文化財保護委員長の赤木耕三さんに案内していただいて、「東美作路名木百選 酒本家のムクノキ(ニレ科)」と「髙仁姫宮の碑」を巡って来ました。
ムクノキの巨木はまるで髙仁姫宮の碑を囲んでいるように根を張っています。その髙仁姫宮の碑の裏には酒本同族会が建立した酒本家のルーツが書いてありました。また、近くには後南朝初代高福天皇の第一皇子尊秀親王のお墓と伝えられている地や、如意輪観音寺跡がありました。(2021年8月28日取材)
勝央町の文化財保護委員長の赤木耕三さんに案内していただいて、「東美作路名木百選 酒本家のムクノキ(ニレ科)」と「髙仁姫宮の碑」を巡って来ました。
ムクノキの巨木はまるで髙仁姫宮の碑を囲んでいるように根を張っています。その髙仁姫宮の碑の裏には酒本同族会が建立した酒本家のルーツが書いてありました。また、近くには後南朝初代高福天皇の第一皇子尊秀親王のお墓と伝えられている地や、如意輪観音寺跡がありました。(2021年8月28日取材)
大寺家 大寺三郎左衛門 英田郡土居村 森藩
大庄屋まで
大寺氏は、鎌倉時代の末から英田保の地頭だった安東氏の一族であるという。安東系譜によれば、寛永年間(1624~1644)に大寺伝右衛門が、大庄屋を勤めた。
大庄屋として
寛文4年(1664)伝右衛門の孫三郎左衛門は不都合があったとして大庄屋を罷免され、家屋・所有地をすべて没収されたといわれる。
その翌年に山外野村の安東三郎兵衛が大庄屋に任命された。
津山宿(城下町)
古代より出雲と大和朝廷を結ぶ道は、重要な路線として開けていましたが、街道としての整備が整ったので、和銅6年(713)吉備より分離され、美作の国として独立し、以来 津山は国府を有し、美作の中心地として栄えてきました。
街道は多少の変遷を重ねてはおりますが、播磨より県内に入るには、杉坂峠を通る道が古道でした。この道に変化が起こるのは、慶長8年(1603)森忠政が藩主となり、入国以来であり、江戸幕府の命で始まった参勤交代のため、街道の整備に当たらせたもので、当所は出雲往来、出雲往還と呼ばれ、近代になり全国的に街道と、呼び名が統一されて出雲街道と呼ばれるようになった。
慶長8年2月美作の国18万6500石の所領を授かった、森忠政は3月に院庄の構城跡に館を築き、城の選定を急ぎ、最終地として「鶴山」と決め、吉井川と宮川を見下ろす鶴山を城地と定め、土地名称を「津山」と改めた。秋には徳守神社を総鎮守として造営した。
元禄10年(1697)四代藩主長成病死のあと、五代藩主として江戸へ発った関式部衆利が発病し、8月森家は改易となった。
元禄11年正月、松平備前守長矩は美作国津山城を受領し、10万石の領主となり以後危機もあり、所領も5万石になったりしたが、その後は増加に転じ明治の維新を迎える。津山は今も昔も作州の中心である。(「出雲街道(Ⅱ)を歩こう会」第5区 No.1からのつづき)
特別企画(第5弾)出雲街道(Ⅱ)を歩こう会(第5区)
久米(ふれあい学習館)~津山(市役所)間7.0km(実質8.0km)
令和4年(2022)5月15日(日)実施
今回の「つながる出雲街道(Ⅱ)」を歩こう会は、特別企画 第5弾として久米(ふれあい学習館)より津山(津山市役所)までを、逆に西から東へと主催「勝間田宿の会」と共催で、「城西まちづくりの会」と「勝山宿の会」で歩きます。
「勝山宿の会」では平成24年より、真庭市内の「出雲街道(7回)・大山みちを歩こう会(6回)」を踏破して、国交省より「夢街道ルネッサンス」に認定され「つながる出雲街道」と命名され、東部(美作市・勝央町・津山市)に活動の場を求めて、歩こう会を開催し、次回10月23日は第6弾(最終回)となります。
農村歌舞伎の隆盛を物語る舞台
田熊の舞台(田熊八幡神社歌舞伎舞台)に2022年3月29日ママと行ってきました。というのも一足早く本人から貰った稲葉なおとさんの写真集『津山 美しい建築の街』(序文は稲葉浩志さん)の景色の中にこの田熊(たのくま)八幡宮の舞台の上で稲葉浩志さんとなおとさんが並んで写った写真があったからです。「私行ったことがないわ!」とママ。「それ!私の里。すぐ近い所にあるわよ。」「じゃ、行こう!」と即決。イナバ化粧品店から車で約10分行くか行かない所にある「国指定重要有形民俗文化財 田熊の舞台」まで行ってきました。
舞台は高台にあるため、鳥居から続く急な坂道を一生懸命上がって神社にたどり着きます。そして舞台の上から那岐山の方を見ると素晴らしい景色が待っています。(勿論、私たちは裏参道を車で上がりました。細い道なので車で行かれる方は気をつけてくださいね。)ママ満足!の久しぶりの外出でした。(田熊八幡宮の廻り舞台)(2011田熊八幡宮秋祭り)(2016国指定重要有形民俗文化財)(国際音楽祭・街かどコンサート)(2013薪能「田村」)
2022年2月19日(土) 〜 2022年2月28日(月)「写真絵葉書でみる鶴山公園、津山駅周辺」展がイオンモール津山フードコートであり、2022年2月23日に伺って来ました。
この展覧会は津山おくにじまん研究会で活躍されている赤坂健太郎さん所蔵の写真約40点が展示されていました。どの写真にも古き時代の津山の様子が紹介されていて思わず立ち止まり、鶴山公園の動物園の写真など見ながら「あったあった!」と声をあげておられました。主催したのは作州忍者鶴丸隊の隊長でもあるスタジオK2代表の河部克己さんです。
2022年2月25日(金)~27日(日)まで佐良山公民館において、佐良山景観展「残したい美しい佐良山の四季」があり行ってきました。絵画や、他地域の懐かしい写真、寺岡健作さんの遺作品コーナーなどが展示してありました。また、佐良山小学校5年生の給食川柳「給食は寒い時ほどおいしいな」「大好きだよ からあげ さかな デザート」「おいしいな いつもたすかる ありがとう」「ラーメンの おあじがいいね つづけてね」等々の可愛い句に思わずほっこりしました。(撮影:2022年2月26日)
2022年2月6日、晴れたり曇ったりした日でしたが、友人と市内をドライブ中に見た津山市内の山々。曇ってはいるものの、時折陽が差し込み、白く輝く山々の雪景色がとても綺麗だったのでカメラに収めてきました。なんてことのないコロナ禍の中の日常の一コマですが、改めてみるといろんな表情を見せてくれる自然。自然って素晴らしいなぁ~と感動しました。
佐用町指定文化財 杉坂峠関所跡、種別:史跡、指定年月日:昭和58年5月20日、所有者:佐用町
大宝令によって整備された美作道は、山陽道の太市から美作国府に向かって西北に伸び、杉坂峠を越えて美作に入った。
播備作の広大な地域を制した赤松一統の中で、赤松則村が元弘3年(1333)に関を設けたところである。
慶長年間に万能峠が開通したので、杉坂峠の通行人は少なくなったが、判明している郡内唯一の関所跡である。(文:現地看板より)(2022年1月12日撮影)
(つながる「出雲街道(Ⅱ)」を歩こう会 万能乢コース)
2022年1月23日、岡山県と鳥取県の県境にある集落(阿波と加茂町物見)の美しい雪景色です。
阿波が実家でよく行かれる寺坂さんが1月21日の阿波の雪景色の写真を送ってくださいました。また、中心部では道路に雪はありませんでしたが、加茂町に近づいていくと徐々に雪景色になってきて、阿波や物見ではあたり一面雪で覆われていました。中心部と北部ではこんなにも差があるんだと感じます。