つながる「出雲街道(Ⅱ)」を歩こう会 万能乢コース(2)
つながる「出雲街道(Ⅱ)」を歩こう会 万能乢コース(1)からの続きです。今回のコースは比較的になだらかな所が多かったため歩くのが楽でした。また、事前の調査、古道の整備など「勝間田宿の会」、「土居宿を後世にのこす会」、「勝山宿の会」の方々のご努力に感謝しながら歩いてきました。
今回の「つながる出雲街道(Ⅱ)」を歩こう会は、特別企画 第4弾として、万能乢より江見までを、「勝間田宿の会」を主催者にして、「土居宿を後世にのこす会」と「勝山宿の会」とで共催して開催いたします。また、万能乢コースと別に、古代より開けた「杉坂峠コース」がありますが、このコースは又の機会に譲り、参勤交代が始まった江戸中期(慶長9年頃)より、土居宿が設置され「万能乢コース」が開発されたので、今回は同コースを歩きます。
宿場資料館(土居老人作業場)で昼食を取る
わら屋根の立ち並ぶ土居
宿場資料館内の鬼瓦 道標
★道標 慶長9年に街道が開かれ要所には石の道標が建てられた。これは、土居の宿のもの。三方に「津山藩」「西、津山大山通」「東、姫路、三日月」と彫られている。建立位置:問尻橋西詰 一里塚
江戸期の丸行燈
本陣跡 現在では一部が残っている程度で、本陣跡の由緒書きが表示してあるのみです。寛永12年(1635)武家諸法度により、参勤交代が諸藩に義務化され宿場の佐用、勝間田間が遠すぎるので、土居宿が設けられ、万能乢道が開発された。
西惣門(復元)(元はカーブミラー当りにあったらしい)
★西惣門 文久2年(1862)の古絵図に、門扉の幅は2間(3.6m)と記されている関所廃止令により取り壊され、130年ぶりに再建されました。
問尻橋西詰に道標があった。 勤王四士埋葬の地(川下約10m河原内)
一里塚・南塚
★一里塚・南塚 街道へ一里(3.95km)毎に道しるべを建て、旅人の案内をした。南塚の石の標識は現存して、今も健在である。北側に松、南側に榎を植えていたが、戦時中に伐採され昭和46年(1971)に、それぞれ再植生され、昭和47年に県の指定文化財となりました。
一里塚(南塚の榎)
ドローンで撮影中に列車と遭遇
供養碑
供養碑
甘酒のお接待に感謝して
古道を歩く
念仏供養塚
大師堂 ご夫婦で手を取り合って歩く姿に感動
距津山元標六里 出雲街道(左 城近坂)
★距津山元標六里 再びニの坂の旧道に入り、国道の手前で「距津山元標六里」の石碑があります。これは明治8、9年頃に設置されたもので、津山の宮川大橋のたもとが起点となっています。
★出雲街道標識 国道の出会いの手前に「出雲街道」の石碑があり、左 城近坂と案内が刻んであります。
江見の手前を旧道に入る。 北向地蔵
★北向地蔵 江見の手前を旧道に入り、警固屋坂を登ると、北向地蔵堂が旅人の安全を見守っている。
坂を下りると江見の町に入り、念仏供養塚と六地蔵が迎えてくれる。
江見の町に入る 作東公民館に帰着
江見庄・因幡道標識
★江見庄・因幡道標識 江見の町は平安時代後期には、江見庄の中心地となり、江戸時代中期には、幕府の直轄地となった。余談ながら、現作東公民館の玄関脇には、因幡街道の標識が保存されている。
(文:つながる「出雲街道」を歩こう会案内より)(2021年10月21日撮影)