地神様(津山市東田辺地内)
百姓の神様。春秋の社日には、ここに集まって、神酒、餅などを供えて祀った。
「村中安全、明治27年12月吉日」と刻まれている。
県北では自然石に『地神』と深く掘ったものが多い。時代は江戸中期以降のものが多く、明治のものもある。
(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年4月18日撮影)
百姓の神様。春秋の社日には、ここに集まって、神酒、餅などを供えて祀った。
「村中安全、明治27年12月吉日」と刻まれている。
県北では自然石に『地神』と深く掘ったものが多い。時代は江戸中期以降のものが多く、明治のものもある。
(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年4月18日撮影)
2017年5月3日・4日(公社)津山市観光協会主催で「第2回牛うまっ王選手権」が津山城(鶴山公園)三の丸野外特設テント会場にて執り行われました。(牛うまっ王選手権は、古くから食肉牛の生産地として発展してきた津山で、牛肉にちなんだイベントです。)2日間で約7,000人の来場者でにぎわいました。
会場では、出展社27店舗(投票対象外2店舗)が自慢の牛肉料理で味を競い合い、投票により優勝者は昨年に続いてネギまみれの焼きそずりポンズ(居酒屋 上屋)さんでした。(2位 炙り牛寿司 大衆肉酒場 いぶし銀、
3位 千屋牛串焼き 新見食肉さんでした。)
2017年4月22日の津山市内の畑の様子です。朝早くお散歩すると清々しいですね。津山市の小高い丘のてっぺん至る所に畑があり、農業をされていらっしゃる方が沢山いらっしゃいます。四季折々におりなす畑の模様を眺めていると、芸術だなぁ~と感動し、思わず写真に撮りたくなりシャッターに収めてみました。
2017年4月1日・2日に津山市二宮にある高野神社で「春まつり」がありました。
4月1日には宵宮祭(16:00~16:40)、鎮守の森ライトアップ(日没後~21:00)が本殿・境内・参道・宇那堤森・立石邸でありました。また、4月2日には春まつり祭典(10:00~10:30)、国指定重要文化財の木造獅子2対(県下最古とされる平安時代の木造獅子)の特別拝観(10:45~16:00午後1:00からは一般の方も拝観)がありました。また、2日間限りの修繕特別御朱印がいただけました。(文:高野神社パンフレットより)(2017年4月2日撮影)2009年取材の様子はこちら←
津山ホルモンうどん研究会は、食を通じたまちおこし活動の本格的な開始から本年4月で10年を迎え、これを記念して「津山ホルモンうどん研究会10周年記念謝恩会」を平成29年4月29日(土・祝)、津山国際ホテル鶴泉苑に於いて開催。(文:津山ホルモンうどん研究会HPより)
2017年5月8日に来られたB'z軍団の田代さんだそうです。(上の写真はイナバ化粧品店さん提供)
5月の大型連休ですがイナバ化粧品店内はお客様で大賑わいです。ママは、「はいっ!写真撮ろうか?」とファンサービスでてんてこ舞い、座る暇がないくらい忙しいのです。そして、津山市のパンフレットなどを手渡し「よろしくね!」と津山をPRしてくださっています。いつもファンと津山市を気にかけてくださって頭が下がります。
下河原公園(シモガワラコウエン) 津山市東一宮1301
面積:1.1ha/設置日:平成10年4月1日/概要:本公園は、東一宮土地区画整理事業により整備された5公園の内の1つ。公園の西側に都市計画区画道路大谷一宮線、南側に都市計画道路東一宮東西線が隣接し、区画整理事業において(5公園の内)唯一の近隣公園で、大きなモニュメントが目印となっている。(情報提供:津山市都市建設部公園緑地課 Tel.0868-32-2097)(2017年4月5日取材)
築造年月は明確でないが、東一宮、東山方の地には条里制の遺蹟を示す凡そ6町四方の区画が整然とした坪割りの地形があった(中村、才田及び下河原)。『美作一宮郷土の歩み』
これらのことから、8世紀頃にはすでに、農地に水をひく水路の原型ができていたと思われる。以降何度にもわたる改修を重ねてきた。特に藩政時代にはかなり大がかりな改修が行われ、この坂元井堰は上記中村地区の潅漑対策と併せ、山方の大谷川と合流させ、戦時対応を考えて、その水を本光寺前方の「土居の内」にまで取り込めるようにしている。 坂元井堰の潅漑面積は約47町7反の広範囲である。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年3月20日撮影)
東西一宮、高田、東苫田、西苫田地区430町歩の水田の灌漑用水確保のため、昭和3年県議会において承認され、昭和5年3月農林大臣より国庫補助の指令があり、耕地整理組合が設立され、昭和7年3月着工、昭和13年3月竣工した。総工費38万5千円。最高水深18m余。貯水量50万トン。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年3月20日・4月18日撮影)
元禄時代の中頃までは温泉の跡があって「薬師堂」があったことが作陽誌にある。
昔、温泉が出ていて、冬でも氷が張らない湯峯があった。
奥津より赤牛を引いて湯を持ち帰った為、温泉がなくなったという昔話がある。
現在は薬師堂があり、苫津霊場第11番札所として信仰され地域の人たちによって手厚く守護されている。
(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年3月20日撮影)