「津商モール」とコラボで「キッズビジネスタウン!」
「第8回 津商モール」が、2016年11月12日(土)9:45~14:00岡山県立津山商業高等学校 体育館でありました。当日は気持ちの良い秋晴れになり、近くの衆楽園のもみじも綺麗に紅葉していました。津商モールとコラボで同時開催したのは、キッズビジネスタウン!です。(子どもが市民となり、みんなで働き、学び、遊ぶことで、共に協力しながら街を運営し、社会の仕組みを学ぶことが出来る職業体験事業です。)
「第8回 津商モール」が、2016年11月12日(土)9:45~14:00岡山県立津山商業高等学校 体育館でありました。当日は気持ちの良い秋晴れになり、近くの衆楽園のもみじも綺麗に紅葉していました。津商モールとコラボで同時開催したのは、キッズビジネスタウン!です。(子どもが市民となり、みんなで働き、学び、遊ぶことで、共に協力しながら街を運営し、社会の仕組みを学ぶことが出来る職業体験事業です。)
棚田暁山筆「伊能忠敬」㊤ー津山にやってきた伊能忠敬ー
明治11年、西北条郡津山町元魚町(現津山市元魚町)に生まれた歴史画家・棚田暁山(たなだ ぎょうざん)は本名を梅吉といった。元魚町にあったという生家の場所や何を営んでいたこということは不明。少年期より古画や有職故実への関心が高く、上京して模写修復の技能を学んだ。
この過程にあって当時歴史画の大家であった小堀鞍音の知遇を得て明治33年に入門。以後主に土佐派の大和絵の画風を学びつつ、鞍音の助手として古美術品の収集などにあたった。同門には安田靫彦らがいたが研鑚を重ねて各種の共進会などに出品、入選や褒章(ほうしょう)を受けた。
昭和14年には号を暁山から真楯に改めた。戦時中、津山に疎開していて作品を残したがそれらには、この真楯という号がかかれている。師ゆずりの綿密な歴史考証にもとづいて緻密で迫真に富んだ歴史画を書いているが、先般、笠岡の竹喬美術館で開かれた「岡山の近代日本画展」には代表作の一つ「伊能忠敬」が出品されていた。(文: 竹内佑宜)(画:岡山県立津山高等学校蔵)
2016年11月9日の津山市役所のモミジバフウ(紅葉葉楓)が美しくて感動ものでした。普段は車の中から見上げていましたが、今日は用事があり市役所まで行きましたので、歩いてみる事にしました。歩いてみると結構長く続く楓の並木道は、それぞれの木により色が違うので随分楽しめました。いつも用事だけ済ませて周りを見る余裕がなかった事を反省!いや、ほんとに美しい!
2016年11月6日に津山市野村にある成名公民館で地区の「第24回成名地区文化祭」がありました。この日は時折小雨が降ったりと肌寒い日になりましたが、心はほっこり!
文化祭では、成名(せいめい)地区の老若男女が一同に集まっていて、この地区はみんなが仲良しなんだなぁ~という雰囲気がしました。作品も微笑ましいものや、小学生の活けた生花や、幼稚園生のお店があったりしてとても和やかな雰囲気に幸せを感じました。
曇り空なのに、明るく光っている紅葉に魅せられて山下の「音の広場」に立ち寄ってみました。石碑によると、「音の広場」は平成元年2月11日に市制施行60周年記念に作られたようですね。
※「音の広場」というと津山国際総合音楽祭を思い出しますが、この津山国際総合音楽祭は、〈未来に架ける人の輪・音の輪〉を大きなテーマに、音楽を介した人と人、プロフェッショナルとアマチュア、クラシックと現代音楽、そして地域と地域、地方と中央、日本と世界の相互交流を培う音楽都市を目指して、3年に一度開催されていて来年が第10回目となります。(2016年11月4日・9日撮影)
江見写真館は登録有形文化財(建造物)に指定されている。正面を西に向け、玄関の右手に半円形の応接室を張り出し、玄関上部には成の高い縦長の2連アーチ窓を開ける。北面には屋根面に達する高窓を設けるなど写真館建築の特徴をよく伝える。設計は地元の原田(熊二郎)工務所である。(文:文化財オンラインより一部抜粋)
江見写真館の応接間(登録有形文化財に指定)が、リニューアルされ美しくなりました。その応接間「山下茶館」(さんげさかん)でもてなすグリーンカレーが美味しいと評判なので、再度取材に行って来ました。バンコク・オリエンタルホテルの料理教室で習ったというグリーンカレーは、スパイスが効いて食べ終わる頃には体中からエネルギーが湧いて来る見た目も華やかで美味しいカレーでした。
2016年10月29日(土)に「河辺地区三世代交流ふれあいまつり」が、津山市立河辺小学校に於いて執り行われました。当日は晴天に恵まれ大勢の地区の方々が交流を楽しんでおられました。
子ども達が大はしゃぎしてパン喰い競争や玉ころがし、もち投げなどをして楽しんでいて微笑ましい。三世代交流が盛り上がっている地域は未来が明るい感じがしました。
2015年10月26日の秋晴れの中、阿波方面へドライブに行って来ました。津山市街を出発して途中の高倉の田んぼの景色や綾部付近でコスモス畑を見つけたりしながらの優雅なドライブを楽しんできました。
本年、津山城完成400年を記念し、従来行われていた徳守神社大祭を大きく進化させ、その一つの姿として、奴通りにて新たにお旅所を設け、津山総祓神事を執り行うこととなりました。
当社は、1604年に津山藩初代藩森忠政公にて現社地に造営されました。当時はまだ不安定な時代で津山城築城に当たり、津山城とその城下町の守護神として造営されたと伝えられています。大坂夏の陣にて使用された鉄盾を森公が当社に奉納されたのもその証の一つと言えるでしょう。
この度の徳守大祭は、当社の時代背景の具現化を目指し、甲冑と火縄銃をテーマに企画されております。当時津山でも組織されていた津山城鉄砲隊が、その子孫により復活をしており、今年よりと徳守大祭に初参加いたします。また、古くは徳守大祭の神輿行列はカ甲冑を装着しての所役もあり、この故事から現在甲冑を正装として活躍されている、備州岡山城鉄砲隊にもご参加いただきます。(文:徳守神社案内より)(2016年10月23日撮影)
パレオパラドキシアは哺乳類束柱目に分類される生物で、今から約1500万年前に生きていたと考えられています。当時の津山市は亜熱帯の温暖な気候で、浅瀬が広がる海でした。パレオパラドキシアはその海辺で、やわらかい海草などを食べていたと考えられています。
束柱目の名前の由来はその臼歯にあります。よくみると鉛筆くらいの柱を束ねたような形をしています。
津山郷土博物館で展示中のパレオパラドキシアの骨格標本は昭和57年9月津山市上田邑の工事現場で当時の中学3年生が発見しました。パレオパラドキシアの化石は日本とアメリカだけで発見されている珍しいものです。全身骨格標本は全国的にも珍しく、県内では津山郷土博物館だけが展示公開しています。(文:津山市HPより抜粋)(2016年10月16日撮影)