三橋神社(船頭町)

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船頭町の三橋神社と小性町の同名神社は夫婦神社で、元々一つの神社ではないかといわれているが定かではない。
船頭町の三橋神社は寛文3年(1633)勧請され文政年聞になって表門が設けられた。
船頭町の由来は、森氏がこの町の人に年貢米や諸物資の運搬の任にあたらせたのが、町名の由来である。
高瀬舟は、津山舟54隻、長岡舟(八出~柵原)116隻、備前田原舟(和気町)16隻の計186隻が出入りしていた。
橋の上手(東方)には、番所、制札場、高灯龍があった。今津屋橋を架設した今津屋平蔵は、明和元年(1764)に蔵元になったと伝えられている。明治になり交通や営業に制限がなくなり高瀬舟は増加し、船の数は209隻を数えた。しかし、明治31年(1898)に中国鉄道が津山(現津山口)~岡山が開通。以後、高瀬舟は急速に衰退していった。

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所在:津山市船頭町 祭神:宇賀之魂命(うがのみたまのみこと) 創建:慶長年間以降 祭礼:健全祈願2月中旬、夏祭7/24、秋祭10/24 (文:津山城下町まちなかお社巡り 津山まちづくり本舗)(2016年12月7日撮影)

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江戸時代、吉井川では数多くの高瀬舟が人や荷物を運び、流通の要となっていた。
 当時、津山の城下町に属する船としては、54艘の高瀬舟が運航していた。船主として高瀬舟稼ぎをできるのは船株を持つ者のみで、当初、船主は船頭町の住人だけであったという。元禄10年(1697)の記録でも、町内に船主や船頭が多く住んでいたことが分かる。

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三橋神社拝殿

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三橋神社(船頭町)