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取材記事内を検索ワード「K2」で検索した結果,29件の記事が見つかりました。

8月12日・13日のイナバ化粧品店

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 2024年8月13日、津山市川崎にあるイナバ化粧品店前の様子です。
今日はお盆の初日でもあり、「稲葉浩志さん凱旋ライブ2024」の初日でもあります。朝から真っ青の空の下で沢山の方がこの津山市にお出でになっています。イナバ化粧品店でも、ママを一目見ようと多くの方がお越しになっています。照り付ける太陽の陽を遮るために駐車場ではテントが張られ、行列をなしておられる人への配慮がされていました。
 昨日もお邪魔しましたが、沢山のファンの方で店内はいっぱいでした。ママは引っ張りだこです。

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「写真で見る津山」展

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2022年2月19日(土) 〜 2022年2月28日(月)「写真絵葉書でみる鶴山公園、津山駅周辺」展がイオンモール津山フードコートであり、2022年2月23日に伺って来ました。
 この展覧会は津山おくにじまん研究会で活躍されている赤坂健太郎さん所蔵の写真約40点が展示されていました。どの写真にも古き時代の津山の様子が紹介されていて思わず立ち止まり、鶴山公園の動物園の写真など見ながら「あったあった!」と声をあげておられました。主催したのは作州忍者鶴丸隊の隊長でもあるスタジオK2代表の河部克己さんです。

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2021津山城(鶴山公園)のもみじ

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 2021年11月11日の津山城(鶴山公園)
 津山城(鶴山公園)では秋の深まりとともに色づいてきた美しい紅葉と出会うことが出来ます。明日から11月13日(土)~21日(日)8時40分~21時00分、ご当地グルメ・スイーツフェスティバル、ステージイベント他(土日のみ)が開催されます。期間中、夜はライトアップされた美しいもみじに出会うこともできます。

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銀天街・元魚町「金曜市」

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12月25日(金)午前11時・午後1時、津山銀天街・元魚町商店街・二番街商店街協賛で、年末商戦の盛り上げとして、ハロー植田・江西あきよしミニライブショーが行われました。
 毎週金曜日、津山市銀天街・元魚町でフライデーマーケットが10時から16時まで行われています。
「今後、B'zものまね軍団 岡山住みます芸人、吉本興業所属 ハロー植田さんと津山銀天街とタイアップして一緒に商店街を盛り上げていきます。」とは出口剛三会長のお話しです。

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安井荒神(安井)

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 岡山県道415号工門勝央線の安井地区で一筋西側に入ったところに荒神様が鎮座されています。
「子どもの頃は、夏祭りには、荒神様境内で、上土居と中須賀に分かれて、花火の争奪相撲大会をしたものです。」と安東伸昭さんが教えてくださいました。

 荒神様は、屋敷内に祀る火の神、竈の神としての三宝荒神、屋外の屋敷神、同族神、村落神としての荒神、牛馬の守護神としての荒神と多様でおられます。(2020年3月29日撮影)

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新型コロナウイルスの終息を願ったサプライズ花火

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 2020年7月7日(火)七夕の日、津山市大田のグリーンヒルズ津山で、新型コロナウイルスの終息を願ってサプライズ花火が打ち上げられました。ほんの少し雰囲気だけですがアップしてみます。この花火は、津山青年会議所が見物客が密集するのを防ごうと、事前の告知なしで行った花火です。この他、真庭市、美咲町、奈義町でそれぞれ花火が打ち上げられたそうです。

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「スタジオK2」移転のため一時閉店

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 津山唯一のイベントプランニング会社のスタジオK2が、道路拡張工事に伴う立ち退きで、2020年2月24日(月・祝)をもち、一時閉店となりました。音楽好きの方々の想いでのスタジオ風景が消えるのは寂しいものです。そこで社屋が取り壊される前の3月8日のお別れ会の様子を送ってもらい写真集にしてみました。
 「敷地内でのリニューアルオープンを予定しておりますが、練習スタジオ、また、定期的なライブは現状営業再開の目途が立っておらず、暫くの期間ご不便、ご迷惑をお掛けいたします。」とのことでした。

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景清山 往生院 寶性寺(鏡野町)

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景清山 往生院 寶性寺
 縁起によると、各地で戦功のあった藤原景清が将軍足利利義詮から恩賞として当山の地を賜り、館を構え母と暮らしていました。やがて、武勇にすぐれ衆望厚い景清は、出世を妬んだものに謀殺され、悲歎にくれた母も後を負うように亡くなってしまいました。
 これを哀れんだ叔父の景明は景清母子の亡がらをねんごろに山内に葬り、弔いのため仏門に入ることを決心し、剃髪しました。そして、館を精舎としてご本尊を求めていた景明は、二宮村円通寺の地蔵尊を玉甫上人に乞い、当山のご本尊として安置しました。
 この地蔵尊は、弘法大師が諸国を行脚の折、疫病が流行しているこの地で、人々の苦難する姿を目の当たりにされ、平癒祈願をするために刻まれた地蔵菩薩とされています。
 この時貞治六年(1367)、玉甫上人を一山の開基とし、景清山寶性寺往生院と名付けられたと記されています。
 以来、藤原景清一族の位牌とお墓を供養するするお寺として、現在に至っています。(文:『高野山真言宗美作八十八ヶ所霊場』より)

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梅本山 観音寺(鏡野町)

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 弘仁十三年(823年)、山岳権現信仰の発達していた時代、藤原雄友の創建で、この地の泉山山中に井水権現を本尊として神仏混合の社殿を建立し、当観音寺はその宿坊の役目をしていました。
 後に勢力分離の国策のため、泉山に泉嵓神社として残し、観音寺は今この地に移転されました。その後は西屋城の戦でこの地に没した多くの兵士の菩堤を弔うために、慶長五年(1600)に頼照上人が中興となって再建されました。
 山号に梅本山とあるのは、菅原一族の一部がこの地に土着して、道真公を奉祠したのを契機に、梅本山と号したのだと思われます。
 持佛堂に阿弥陀如来と秘佛の訶利帝母尊(鬼子母神)をお奉りしていますので、子育てのお寺として信仰されています。(文:『高野山真言宗美作八十八ヶ所霊場』より)(写真:2019年10月日)

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八木山 知足院 福泉寺(鏡野町)

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  当山は寺伝によれば、行基菩薩が諸国巡礼の折、当地に立ち寄られ自ら観音像を刻まれ安置、寺号を福岡山福泉寺とし、開創されたお寺です。
 その後、弘仁年間には弘法大師も密教を広めるため、当寺に立ち寄られました。その折、寺号を知足院と改められました。そのため、当山は知足院ともいいます。
 宝暦年間に落雷により火災となり、伽藍が悉く焼失してしまいました。
 境内を現在地、米山に移して寺号を八木山福泉寺と称しました。本堂は文政二年(1819)、庫裏は明治元年の建立です。 

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