梅本山 観音寺(鏡野町)
弘仁十三年(823年)、山岳権現信仰の発達していた時代、藤原雄友の創建で、この地の泉山山中に井水権現を本尊として神仏混合の社殿を建立し、当観音寺はその宿坊の役目をしていました。
後に勢力分離の国策のため、泉山に泉嵓神社として残し、観音寺は今この地に移転されました。その後は西屋城の戦でこの地に没した多くの兵士の菩堤を弔うために、慶長五年(1600)に頼照上人が中興となって再建されました。
山号に梅本山とあるのは、菅原一族の一部がこの地に土着して、道真公を奉祠したのを契機に、梅本山と号したのだと思われます。
持佛堂に阿弥陀如来と秘佛の訶利帝母尊(鬼子母神)をお奉りしていますので、子育てのお寺として信仰されています。(文:『高野山真言宗美作八十八ヶ所霊場』より)(写真:2019年10月日)
山門の右側に慈光堂があります。
観音寺です。
末社神です。 境内です。
本堂です。
梅本山観音寺鰐口 鰐口は、神社仏閣の正面廂に懸けられ、参詣者が布縄で打鳴らし礼拝するものです。当寺の鰐口は、直径36.5cm幅径14cmの鋳銅製で、元禄12年(1699)に製作されたものです。当寺は、1600年創建の古刹で、鰐口は神仏混交の関係で泉嵓神社にありましたが、明治維新の神仏分離や戦時中の混乱期を経て当寺に納められた稀少なものです。平成11年9月1日 奥津町教育委員会
境内にある鐘楼です。
境内では10月なのにキキョウの花が咲いていました。
可愛い金魚がいます。 お接待で頂きました。