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取材記事内を検索ワード「加茂郷」で検索した結果,103件の記事が見つかりました。

瀧尾山 西法寺

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瀧尾山 西法寺(2011.7.10取材)
 この寺は天台宗(伝教大師・最澄)瀧尾山西法寺といい、天台宗総本山比叡山延暦寺の末寺です。昔は妙原の大谷山にありましたが、山津波にあって寺が壊れたため、寛文11年(1671年)に堀坂へ移したもので、ご本尊は不動明王です。
 お不動さんは右手に剣を左手に綱を持ち、左目を閉じ口を斜めに噛みしめ、しかめた顔をして体の色は青黒く、火炎を背中に負って険しい岩場に立っています。
 大日如来の命令を受けて、人の心に住む悪魔を退治するといわれています。恐ろしい姿でですが、本当は心のさしい仏様で、心がよくない方向に向かっていると正しい方向へ戻してくださるといわれています。
 この本堂は文政8年(1825年)に建てられたもので、本堂が無事に完成することを願って参道口に六体地蔵が寄付建立されました。また平成14年4月に内仏殿と庫裏を改築し内仏殿には阿弥陀如来を中心に、伝教大師最澄、檀信徒のご先祖を祀っています。
 この寺は、加茂郷88ヶ所霊場第54番札所です。(津山市堀坂町内会発行:わがまちの史跡より)

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本谷山 神宮寺(観音様)

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本谷山 神宮寺(観音様)御堂(2011.7月9日、7月17日取材)
 神宮寺(観音様)は元禄7年(1694年)掘坂と妙原の人々の浄財により建てられた十一面観世音菩薩が祀ってあります。今でも毎年7月16日の夕方から18日の夕方まで、人々が替わり合って昼夜鉦(かね)をたたき念仏を唱え、いろいろな災難や病気に罹らないように、一心に祈る習慣が続いています。
 御堂の正面の壁(漆喰)には、鏝絵(こてえ)と言われる珍しい絵が鏝で描かれています。また御堂のなかには百万遍の念仏を唱えるのに使った数珠があります。
 観音様を"南無観世音菩薩"と唱えると、火難、賊難、雷難、蝮難、薬難、病難、不慮の事故などからのがれると、お釈迦様が説かれた観音経の中にあります。
  十一面観世音菩薩は頭の前に三つの優しい顔、左に三つの怒った顔、右に牙を出してほめている顔三つ、そして真後ろは大笑いしている顔一つ、正面を向いている顔一つ、これは同行二人を表しており、観音様の顔を入れて十二の顔となっています。
 ここは、加茂郷88ヶ所霊場第53番札所でもあります。(津山市堀坂町内会発行:わがまちの史跡より)

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加茂の金刀比羅神社

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▲加茂の金刀比羅宮(2011.6.25取材)

当社は中原日詰に鎮座す
 日詰山には、寛文年中、四国金刀比羅宮の分霊を奉還し安置す。明治42年、宇野原口、楢井行重、百々、中原成安、才ノ谷社を合祀し安置す。大三輪大明神、惣道天明神、大山祇社、大月大明神、日野目大明神、末社には19の命を祭り奉還す。
相殿に大物主命、速玉之男命、伊弉冉命。
・神を祭祀せば=悪い病いのたたりなくなると言う。
・神を祭祀せば=農耕、養蚕、織物を治め一番大切な祖神がある。
・神を祭祀せば=心おちつき事に当たりなしとげらるるという。末社、荒神社は安産の神、稲荷神社に商法の繁昌、木山神社山の神、末社多くの神々を安置す。広く県外からも参拝し祈願者も多い。
祭日は次の通り行う。
祈願祭 元旦~3日 豊作繁栄 4月10日 難病除 7月10日 大祭(例大祭) 10月10日 年の礼祭 12月10日
◎尚、大平内閣総理大臣が幹事長時代に神社の社碑を書き下されてあります。
◎又、山上には40年代の桧材で展望台を作ってあり、加茂郷が一望出来るようにしています。
金刀比羅神社(案内板より)

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