朝吉神社(津山市上村字王子屋敷)

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 上村朝吉神社(上村字王子屋敷)祭神 下照姫命御旅所。

 字キロロ659番地の野に在り「明治五年九月十六日朝吉神社御輿、始メテ此ノ地ニ渡り爾後、御旅所ト称ス」と神社誌にある。
 祭礼は昔、加茂郷の五社の一社として鴨神社(現西加茂神社)を中心に烏居野(中村)に神幸したしたと伝えられ、明治五年に神輿を新調しキロロ野を神幸行を神幸したと伝えられ、明治五年に神輿を新調しキロロ野を神幸行事を復活して現在に至っている。

明治、大正、昭和、平成と青壮年の肩に乗せられて、神幸行事が連綿と行われ今日に及ぶ。昭和初期には、参道両脇に赤松の大木がそそり立つ荘厳な神城の広場 に土盛りを築き祠宇を祭られていたが、昭和十八年頃より、大東亜戦争が極めて苛烈となり軍部の命により松の脂採集の要請。更に公用材として軍部に供出。昭 和二十年八月十五日終戦となり残木の赤松は樹脂を採集したためか数年古木と化した。当時の樹齢約九十年余の神城が偲ばされる。

 昭和三十九年加茂川下流開拓団地用水利用組合が設立され隣接する津山市四町内会と、勝北町九ヶ部落合意の上(県営加茂川開拓パイロット事業と称す)各部 落共有林野を主体とし水田または畑地として開拓。この御旅所も対象になり祠宇を取り壊されて以来三十有余年放置されていたが、近年氏子より、祠宇の無いま まに御輿神事が執行されているが、御神体はどこに安置されているのか。昔の姿にご奉仕したらどうか、御旅所を惜しむ人多く、平成五年アタゴ様(火の護神) を此の地に遷座されたことと相い俟って、当時の朝吉神社総代有志の祠宇再建企画により、以前約九五〇〇平方米ぐらいであった御旅所は、開拓事業により縮小 移転を余儀なくされた地に、平成十年三月、広戸川並びに加茂川清流の礎石を集め再び「祠宇」を築き神官青山博也氏の協賛のもと、字キロロ六六八番地(一三 五六平方米)地内に遷座し完成に至る。
平成十年三月吉日 謹 (案内板より)2012.10.27取材

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国道53号線脇にあります。

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鳥居

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立て札

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平成十年三月、広戸川並びに加茂川清流の礎石を集め再び「祠宇」を築いた。