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取材記事内を検索ワード「重要文化財」で検索した結果,153件の記事が見つかりました。

11月3日は、今年最後の秋祭りだよ~。11月10日はさらやま時代祭があるよ~。

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11/3(日) 中山神社の秋祭り(本殿は国指定重要文化財)
https://www.e-tsuyama.com/report/2011/11/post-99.html
日にち:11月3日(日)
場 所:中山神社(岡山県津山市一宮695)
問い合わせ:0868-27-0051(中山神社

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津山市田熊の回り舞台から、薪能「田村」

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2013年10月26日当日の天気は雨で心配しましたが、舞台が始まるころからは雨もほぼ止んでいました。ここは子どもの頃からいつも行っていた場所でもあり、感慨深いものがありました。薪能「田村」 は吉田篤史さんがシテとして出演。田熊回り舞台(国指定有形重要文化財)から夕刻より薪の灯のもとで屋外の能を拝見いたしました。

主催:ゆきちゃんのぐりーん倶楽部 代表 小島幸子・共催:津山市田熊町内会

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旧遷喬小学校 ~美作は謎に満ちて~

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美作国theミステリーの謎解きでやってきた。ヒントは「遷喬小学校の校舎と向かい合え、真正面から、川のうねりを感じられるだろう。ただし、ほはあげるな。」です。

頂いた資料によると、旧遷喬尋常小学校は、「明治40年(1907)に巨額な費用を投じて建てられた木造校舎が、平成2年(1990)の夏、84歳にして小学校の役目を終えた...。今も、どっしりとした威容を誇る我が母校。あの木造校舎が、私たちの心をとらえ続けるのはなぜだろうと考えてしまう。旧久世町の教育を語る時、ルネッサンス風木造校舎ぬきでは考えられない。明治の先人たちが残した学校(子弟)教育への情熱を後世に伝えたい。人生の出発点を育んだ小学校時代を、ここを訪ねる人に思い出してもらい、明日への活力としていただくことを願う...」(2013.9.28取材)

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「地蔵院」と「宕々庵」(とうとうあん)

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地蔵院をお尋ねして谷崎潤一郎さんが、一時疎開していたという「宕々庵」(とうとうあん)のことをお聞きしてみましたが、もはや、写真も資料もないとのことで残念でした。今は、影も形もありませんが、地蔵院内にある愛山廟の前にダンジリ庫が建っているところにあったそうです。写真からうっすらわかるでしょうか?この写真は得能さんからお借りしたものです。記録では、庭には梅とつつじ、キリシマが植えられていたそうです。
誰か写真をお持ちではないですか?(2012.6.20)取材、前回の取材はこちら

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本源寺 中門(津山市小田中)

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本源寺 中門 国指定重要文化財 (2013年6月17日、7月3日取材)

 中門は江戸時代初期の建築とみられ、間口4.0m、切妻造、桟瓦葺の薬医門(やくいもん)である。本源寺は、慶長期にさかのぼる方丈型の本堂を中心として、庫裏、中門や、森家代々当主を祀る霊屋など、桃山時代から江戸時代前期までに整備された建造物が一体で残されており、地方における大名家菩提寺として建てられた臨済宗寺院建築の初期の遺構として価値が高い。

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本源寺 庫裏(津山市小田中)

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本源寺 庫裏 国指定重要文化財 (2013年6月17日、7月3日取材)

 庫裏は延宝(1673年~1680年)ごろの建築とみられ、桁行20.0m、梁間12.0m、一部二階、屋根は切妻造、桟瓦葺で、南面妻入とし、出入口に庇を付す。南面を除く三面に居室、便所及び浴室など居住のための改変が加えられているが、柱や梁組などの主要構造や平面の構成は、建築当初の状態よく残す。

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本源寺 御霊屋表門(津山市小田中)

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本源寺 御霊屋表門 国指定重要文化財 (2013年6月17日、7月3日取材)

 御霊屋表門は、御霊屋と同じ時期の建築とみられ、間口2.7mの四脚平唐門で、屋根は銅板葺とする。御霊屋同様に頭貫の地紋彫、蟇股彫刻や冠木先の八双形彫刻など精緻な細工を施す。

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津山城模擬天守閣を遠目に見てきました。

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2013年8月18日(日)今日で津山城模擬天守閣ともお別れなので、少し遠くから見てきました。半分の大きさとはいえ遠くからでもよく見えるものですね。私が行った中では全体が一番よく見えたのは小田中の山の上でした。この模擬天守閣が無くなってしまうのは残念ですが、昔の人はこんな感じで津山城を見ていたのだろうと往時を忍びながら眺め、真夏のひと時を楽しませていただきました。

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本源寺 総門(津山市小田中)

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▲本源寺の総門 (2013年6月17日、7月3日取材)

 江戸時代前期までに建てられた津山藩森家菩提寺の東海山 本源寺の総門は、津山城の門だったとの言い伝えがありますが、文献は残っていないそうです。


 江戸幕府が開かれたとはいえ大阪の陣の前でもあり、戦国の熱さめやらぬこの時期、より戦を念頭に置いた城造りと城下町造りが始まる。津山城は五層の天守を始め、77を数える櫓、40近い城門など百数十の建築物がひしめく壮麗な城で、12年かけて完成した。
  城下の町造りも城下防衛上の理由から、寺院を城の東西に集中させ寺町を形成した。18世紀初頭には、城の西に24ヶ寺、東に10ヶ寺と圧倒的に西に寺院が多い。また、津山城の五層の天守も西を見渡せるように建っており、城下防衛は西側に重点が置かれていた。

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津山城模擬天守閣がもうすぐ完成です。

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展示期間:2013年8月2日(金)~8月18日(日)、場所:津山城(鶴山公園)、開催時間:午前8時40分~午後7時まで、入園料:16歳未満無料、16歳以上300円。(天候などによりスケジュールや内容が変更になる場合もあります。)


 津山城の本当の姿を知っていますか?津山城は廃城令により天守・櫓などの建物が廃棄され鶴山公園として今の姿になりました。もし、保存されていたら。街の風景はどうかわったでしょうか?美作国建国1300年記念事業として、期間限定で復元されることになりました。地域のたからである「津山城」を復元する夢を皆様と一緒に思い描き、誇りと愛着といった郷土の和を広げましょう。

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▲復元プロジェクトについて

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▲7月時点の進捗状況

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