かって江戸城にあった 紅葉山東照宮 御簾(みす)
かつて江戸城内にあった東照宮を飾った豪華な御簾
紅葉山東照宮 御簾
享保21年(1736)以前の作 竹・緞子・金工の組合せ
紅葉山東照宮の神前に掛けられていた御簾。簾の中でも高級なものは、特別に御簾と呼びます。細い竹ひごを編み、周囲が緞子(地が厚くて文様をあしらった光沢のある絹織物)でふちどられ、三葉葵紋の金具や織模様が多数あります。上部には紐の長い房が2か所に取り付けられ、その紐には鉤(簾を巻き上げた時に引っ掛けて止めておく金具)が付いています。最上部には、中央の日輪をはさんで左右に龍・麒麟・天馬・獅子の飾り金具が配置され、全体として非常に豪華な作りです。初代将軍であり「神君」とも呼ばれて徳川家の守り神とされた家康を祀る社殿を飾るのにふさわしい仕様とデザインで、かつての徳川将軍家の絶大な権威を思い起こさせます。
付属の由緒書によると、享保21年(1736)に浅草寺伝法院を経て美作一宮の中山神社神職美土路家が拝領し、同家に伝来したものです。(文:津山郷土博物館より)2014.7.31取材
日本全国に祀られた東照宮
■家康を神に祀る
元和2年(1616)4月17日、駿府城内において75歳で死去した家康は、その遺言により、駿府近郊の久能山に埋葬される際に神として祀られ、1年後には下野の日光山に改葬され、それぞれの地に壮麗な社殿が建立されました。神となった家康の名は「東照宮大権現」。のちに朝廷から宮号の宣下を受け、彼を神と祀る社は「東照宮」と呼ばれました。
■東照宮、全国に
幕府は日光山・久能山のほかに江戸城内や上野にも東照宮を建立し、徳川家のみならず武家全体の守護神として崇め祀りました。また、御三家をはじめ諸大名も居城の城下に東照宮を祀ったほか、幕府領や徳川家ゆかりの地にも祀られたため、北は函館から南は鹿児島まで、全国各地に東照宮が出現することになりました。
愛山東照宮(津山市小田中)
津山松平家が祀る。地蔵院に合祀。
紅葉山東照宮とは?
紅葉山東照宮は、江戸城内にあった東照宮です。江戸城では、将軍の住まいが本丸、将軍を退いた大御所または跡継ぎの住まいが西の丸と決められていました。その本丸と西の丸の間の小高い丘を紅葉山と言います。元和4年(1618)、その北西に東照宮が祀られて以降、その周辺に歴代将軍の霊廟(祖霊をまつる宮。みたまや)が建立され、それぞれの命日に将軍が参詣していました。寛永16年(1639)には、その一画に家康以降の歴代が収集した徳川家の蔵書うを収納する書物蔵が置かれ、紅葉山文庫と呼ばれました。
江戸城全体を一つの家に例えると、紅葉山は仏間と書庫を兼ねた部屋、ということになります。
瑞獣の飾り金具
左:阿形 右:吽形
中央:日輪 龍 麒麟 天馬 獅子
中央の日輪は、太陽をかたどったものです。その左右に、縁起の良い想像上の動物たちが対称に配置されていますが、左側はすべて口を開いた阿形、右側は口を閉じた吽形となっています。これらの動物は、世の中が正しく平和に治まっていると出現すると考えられていて「徳川家による太平の世」を強く印象付ける装飾です。
※ただし、龍以外は別の動物である可能性もあります。
想像していた大きさよりは随分大きな御簾でした。
細かな細工が施されています。
・紅葉山東照宮の御簾を展示しています。
期間:平成26年7月19日(土)~8月31日(日)
紅葉山東照宮の神前に掛けられていたこの御簾は、全体として非常に豪華な作りです。細い竹ひごを編み、周囲は緞子(地が厚く文様をあしらった光沢のある絹 織物)でふちどられ、三葉葵紋の金具や織模様が多数あり、最上部には、中央の日輪をはさんで左右に龍・麒麟・天馬・獅子の飾り金具が配置されています。
紅葉山東照宮とは、元和4年(1618)に江戸城内の紅葉山北西に建立された東照宮です。東照宮の周辺には、歴代将軍の霊廟も建立され、それぞれの命日に将軍が参詣していました。
徳川家康を祀る社殿を飾っていた華やかな御簾を、ぜひご覧ください。(文:津山郷土博物館より)