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取材記事内を検索ワード「重要文化財」で検索した結果,155件の記事が見つかりました。

嵯峨山(さら山)城跡、満開のつつじ

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▲2011年4月22日の美作国嵯峨山城跡は、つつじが満開です。(2011年3月に登ったときの様子)

久米の佐良山については作陽誌に【嵯峨山城跡とは】
「佐良山付古城 在中島村倭歌の詠ずるところの久米の佐良山はこれなり。一名嵯峨山と名づく。或人は言う、篠山と嵯峨山とは相去ること遠からず。何れがその佐良山たるかを詳しくせず。しかも篠山は佐良山村に在り、嵯峨山は中島村在る。佐良山に在るを以って真となすべきと言う。この説は是ならず。古は中島村、古城村、暮田村、佐良村は一村なり。総べてこれを佐良村と言う。近来邑里分割し山川の隋判は其原を詳しくせず、これに疑有り。今山上を縦目するに、風景は嵯峨山を勝となす。真の名山はただこの山なるかと記されている。
  なお篠山をもってこれに擬し、或いは神南備山をもって佐良山に擬するなど諸説に分かれているが、この嵯峨山には文化13年(1816年)秋8月に小島広厚誌、太田貞幹書両氏により佐良山の碑が建立されている。この碑文によると、一応この山をもって佐良山としている。

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新善光寺

高野山真言宗 新善光寺は山号を金森山と称し、天長八年(831)弘法大師によって開基され、本尊は阿弥陀如来である。鎌倉時代の遊行聖で時宗の開祖一遍上人(1238~1289)の遍歴の生涯を描いた絵巻物「一遍聖絵」(国宝・京都歓喜光寺蔵1299完成)の中の、第八美作一宮中山神社の絵巻の詞書の一節に「それ(註・一の宮)をたちて、かなもりと申所におはしたりけるに・・・」と記されており「かなもり」とは金森山を指すものであると古くから伝えられている。
一切を捨てて一生を旅のうちにあって念仏の教えを説いた一遍上人が弘安九年(1286)美作一宮から当山にきて滞在したのである。

入り口にある「茶屋林道標」は市指定重要文化財(建造物)。

https://www.e-tsuyama.com/kankou/check/tera/shinzenkoji/index.html

清瀧寺

清瀧寺は弘仁十二年(821年)人皇五十二代嵯峨天皇の勅旨により弘法大師が開基されたものと伝えられている。
現建物は寛文九年(1669年)時の城主森忠政侯の寄進により再建。本尊は二十七面千手千眼観世音菩薩。作者は行基菩薩と伝えられ、脇仏の持国、増長の二天は弘法大師の寄作とあり。
市指定重要文化財(彫刻) 木造千手観世御菩薩立像
https://www.e-tsuyama.com/kankou/check/tera/seiryuji/index.html

東海山 本源禅寺 (小田中)

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 寺の前身は神戸(じんご)村にあった南北朝期の安国寺と伝えられています。寛永16年に本源院忠政の御霊屋が完成し、天和3年(1683)忠政の50回忌にちなんで本源寺と改称した。境内の墓地には森氏代々の五輪墓がある。
森家大名墓と御霊屋・表門は津山市指定重要文化財(建造物)。木造森忠政公坐像は津山市指定重要文化財(彫刻)。
2009.1月取材

https://www.e-tsuyama.com/kankou/check/tera/hongenzi/gallery.html

妙法寺

妙法寺は山名美作守忠政が鶴山柳の段に妙王院を創建(1440年頃)したことに始まる。1570年頃中興法恩院日充上人が妙王院を妙法寺と改称する。森忠政が美作に入り(1603年)築城地を鶴山に決定した。これに伴い妙法寺を南新座へ移した。その後、城下町造営の拡大に伴って、西寺町の現在地に移った(1617年)。
現在の妙法寺本堂は、県の重要文化財に指定されており、正面5間(16.9m)側面(18m)の大きな平面を持った堂宇である。鬼瓦の側面の記載により1653年頃の完成と思われる。他に市の重要文化財に指定されている鰐口があるが、この鰐口には(慶長18年(1614)年暦9月21日作州富川村妙法寺)とあり、これが(津山)の名称の、現在確認できる最初の使用例とされている。境内には、津山藩松平家絵師狩野如林、森家刀匠兼景、文人画家飯塚竹齊、女子教育の先駆者竹内文子などの墓がある。(情報提供:妙法寺)
https://www.e-tsuyama.com/kankou/check/tera/myouhouzi/index.html

美作国嵯峨山城跡

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▲2011年3月4日(金)午前6時に集合して美作国嵯峨山城跡へ行きました。(往復約40分)

正面に見えるのは津山城「鶴山城跡」です。皆さんもいかがですか?私にとって新しい発見があり、また、とっても清々しい朝となり幸せな気分で一日が過ごせました。【4月満開のつつじ】 【嵯峨山城跡とは】

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八出天満宮の合格祈願祭

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出天満宮は広く美作地方一円の人々からは古来「学問の神」「書の神」として崇敬され、信仰を集めてきた。

菅原道真公(845~903年)が御祭神。歴代の領主は天満天神(道真)への畏敬から、自らの庇護神として或いは領内安寧のための「厄除・除災」の神として八出天満宮を手厚く御祀りしてきた。全国の天満宮の中でも稀な縁起と最古に位置する起源を持つ由緒あるお宮である。(津山市の重要文化財に指定された歴史的にも貴重な建造物となっている。)

平成23年の合格祈願祭は、1月22日(土)・23日(日)で、両日とも午前9時受付、午前10時~午後4時

その他の祭礼は、夏祭7月24日(日)湯立て神事 午前11時、秋祭10月23日(日)神事午前10時、御神幸午後2時~4時、新殻感謝祭11月23日(金)神事11時、天神様の日、毎月25日(道真公の御命日)

 

詳しくは、2009年の取材記事「八出天満宮」をご覧下さい。

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白加美神社のさくら(小田中)

毎年さくらの花が咲いたら、ライトアップされます。
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幻想的なさくらの花です。白加美神社は小田中に鎮座する天照大神主神とした社で、作陽誌には白神社と記されています。本殿は主神にふさわしく神明造となっており、他の形式の介在をまったく許さず、正統性をよく保っていることは、市内に数社ある神明造社殿のうちでは抜群である。社伝では、拝殿ともども文久2年4月の建造といわれています。また、白加美神社社殿随身門末社多賀神社社殿津山市重要文化財指定されています。

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史跡 美作国分寺跡

史跡美作国分寺跡とその特徴
  美作国分寺は、総国文寺となる東大寺と伽藍配置が極めてよく似ています。また、寺域(お寺の範囲)も二町(約220m)四方で、国分寺の基本的な規模に一 致するといわれています。その上、創建時に屋根に葺かれた軒瓦の文様は、平城宮で用いられた瓦の文様と瓜二つという特徴があります。
  美作の国は、713(和銅6)年に備前の北部6郡を分割してつくられた新しい国で、その国府(国の中心の役所)は津山市総社に置かれました。美作国分寺の特徴である都との密接な関係は、そういった事情を反映しているかもしれません。
  奈良時代中ごろに建立された美作国分寺は、その後変遷を重ねながら、平安時代末には衰退したようです。
  美作国分寺と対になり建立された美作国分尼寺は、発掘調査の結果、国分寺の西方約500mのところに存在していたことが明らかになりましたが、伽藍配置等の詳細はまだ分かっていません。

 平成16年2月27日国指定重要文化財(史跡)指定

2009.9.2
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