アルネが出来る前の銀天街附近
アルネが出来る前の銀天街附近(協同組合津山銀天街の設立は、昭和36年1月13日です。)
なんと津山で一番先に設立された商店街だそうです。(写真提供:中山須美子さん)
(アルネが出来る前の五番街附近)
アルネが出来る前の銀天街附近(協同組合津山銀天街の設立は、昭和36年1月13日です。)
なんと津山で一番先に設立された商店街だそうです。(写真提供:中山須美子さん)
(アルネが出来る前の五番街附近)
2015年8月11日に、スペインから一時帰国されていた保田扶佐子さんと、多胡昭彦さんをお尋ねして来ました。
多胡さんは保田さんのお姉さまと同級生でお二人とも以前からお知り合いと言うことで、お話もざっくばらんでとても面白く夢のある対談でした。
多胡さんと言えば、10数個の彗星や新星の発見者でもあり、小惑星(7830)Akihikotagoに命名されているアマチュア天文家で有名です。また、保田さんは、バルセロナと日本を往復しながら、絵画、版画のほか、多くのアーティストブックで画家、詩人、作曲家たちと共同制作しておられます。
多胡さん曰く、子ども達にガリバーの話をすると、眠たそうな子でも目が輝いてくるそうです。
今井橋は、岡山県津山市を流れる吉井川に架けられた橋です。
旧今井橋之記
境橋、今津屋橋の間の新橋を架設する事は住民が永く願望しており、当時姫津鉄道(現在の姫新線)の全面開通時期が迫るにあたって気運が高まりました。有志を募り期成同盟会を組織し、第一大谷土地区画整理組合と提携し、現実化に向け奔走している時、坪井町の今井壽恵氏が一万円を寄附し架設資金に充てられ完成しました。昭和十一年四月二十日開通の式典において姓を頂いて橋名としました。此処に栄誉を称え記念碑を設置し後世に伝えます。(記念銅版より抜粋)
【つやまギャラリーⅤ】津山洋学資料館が所蔵する浮世絵のうちから美人画を中心に展示。喜多川歌麿や三代目歌川豊国らが描いた、大江戸美女の艶姿が、2016年12月2日~8日まで、登録有形文化財の城東むかし町家(旧梶村家住宅)で展示されました。衣装や髪型、髪飾りなど色鮮やかな美しい江戸時代の遊女や町娘が生き生きと描かれていて往時を忍んで見学してきました。(2016年12月7日撮影)
そば粉上人(遍照院是空法師-高木蜂次郎)
英田郡美作町殿所に嘉永4年(1851)に生まれた遍照院是空法師(大正7年入寂)は、そば粉上人と称えられている。上人は、19歳のある夜霊夢を感じ信仰の道に入ったといわれ、発心以来五穀を絶ちそば粉に漬物のみ食べ、また一切の火気を断って風呂に入らず水ごりをとるといった、常人を離れた荒修行を続けた。
難病患者に対しては、わが身が代わってその苦痛を受けると祈祷し、自分の指を切断していた。入寂時満足な指は親指一本だけであったという。勝央町にも当時植月、小矢田にたびたび訪れており、上人の功徳により立ち直ったという患者が多い。
上人の高徳を慕い、その後権田甚四郎らの人びとによって城山(小矢田)の登り坂に、奉唱大師講、大日如来その他の板碑が建立されている。その隣に上人を供養する堂宇が建てられた。(当時の堂宇は破損し新しく小さな祠がつくられている)また供養とは別に上人の面影を山田照雲(一刀彫)が彫刻している。「昭和3年5月戸倉山勧請、辺照院是空師 哲刀彫」と記されている。(戸倉山勧請は誤記とおもわれる。この山は城山である)
(文:勝央町史より)(写真:2016年12月10日撮影)
材木町は津山城築城の折、材木置き場になったことに由来する。
森家の重臣森采女の別邸が置かれたが、松平藩に代わり重臣の小須賀氏の別邸となった。一説にこの屋敷の屋敷神が小須賀稲荷神社として伝わり、現在は材木町と伏見町の町内神になったと伝えられている。武士が屋敷神として稲荷の洞を設けるようになったのは、江戸中期、足軽の子から、幕府の老中まで出世した田沼意次(おきつぐ)が、稲荷を厚く信仰していた為という説がある。
所在:津山市材木町 祭神:宇迦之御魂神(うかのみたまのみこと) 創建:慶長年間(1596~1615) 以降
祭礼:秋祭10/末~11/初
(文:津山城下町まちなかお社巡り 津山まちづくり本舗)(2016年11月30日撮影)
阿部ひろみ水彩画展は、第1期「津山とその周辺の旅」(11月19日から12月5日)と、第2期「おかやま県南の旅」(12月9日から12月26日)、第1期「岡山県北の旅」(1月6日から1月16日)です。
第2期の阿部ひろみ水彩画展『おかやま再発見の旅』~人物・風景・物語~にお邪魔してきました。とても、温かな水彩画が多くて心も和んできますよ未だの方は是非どうぞ。
小性町の三橋神社は正徳2年(1717)9月29日に宇賀之魂命を勧請。天保8年(1837)に赤穂屋多十郎発起のもと社殿を改築し三端大明神と尊称。
安政5年(1858)赤穂屋紋右衛門の寄進で屋根葺き替え、明治34年(1901)、江川|浅次郎発起で拝殿改修、更に昭和15年改築を行う。祭神の宇賀之魂命はいわゆるお稲荷さんで三橋家の屋敷神であったが、後に町内神として記られるようになった。所在:津山市小性町 祭新:宇賀之魂命(うがのみたまのみこと) 創建:正徳2年勧請
祭礼:夏祭 7/24 敬老祭 9/8 秋祭 10/24(文:津山城下町まちなかお社巡り 津山まちづくり本舗)(2016年12月7日撮影)
山下の津山保育園北側にある御倉稲荷。歴史は古<、森藩時代にこの辺りに藩の詰米御蔵があり、その守り神と
しての存在という。それゆえに「御倉」の名にその意義が伝わり残った。
稲荷信仰は平安初期に史上に現れたが、もとは農耕の神で、五穀を主宰する倉稲魂命(うかのみたまのみごと)を肥った。後世には地区の守護神として、また殖産の神としても栄えた。
所在:津山市山下 祭神:倉稲魂命(うかのみたまのみこと) 創建:慶長年間(1596~1615)以降 祭礼:夏祭7/28
(文:津山城下町まちなかお社巡り 津山まちづくり本舗)(2016年11月30日撮影)
堺町は森藩の時代には木知ケ原町と呼ばれた。現在の堺町と改称されたのは享保12年(1727)。この町には森藩時代からの豪商として知られる誉田屋があった。この家が根田家であろうといわれる。根田稲荷はこの家の屋敷神であったが、今は堺町の町内神。稲荷信仰のもとに商売繁盛と火の用心はっきもの、火災から町内を守る神としての信仰を集める。寛文4年(1664)徳守神社の新社殿が完成した折、最初の神輿をこの町から奉納している。